登録 : 2015.09.19 20:01 修正 : 2015.09.22 14:33

徐京植教授が見た日本の安保法制の改正

日本の連立与党である自民・公明両党の議員が17日、参議院特別委で民主・維新・共産党など大多数の野党議員が表決に反対する中で自衛隊法改正案をはじめとする11の安保関連法制改定案を表決処理した。小委員長を囲んで与野党の議員がもみ合っている

この記事は、徐京植東京経済大学教授が『現代思想』10月臨時増刊号に載せた文を事前に掲載の許可を得たもので、安倍政権が参議院本会議で集団的自衛権の行使を骨子とした安保法制制・改正案を通過させる前に書いたものだが、通過以降の状況も念頭に置いた。(編集者)

社会を食い入った「安楽全体主義」
「精根込めた打者認識」の失踪
日本近代史はこう帰還するか

穏やかに晴れた初夏の午後、私は勤務先の研究室にいる。と、突然、校内放送の拡声器が「全員、すみやかに研究室や教室を出て中庭に集まって下さい」と告げ始めた。何ごとかと窓から外を見ると、教職員や学生がぞろぞろと建物から出て集合し始めている。私はのんびりと、やりかけの仕事を片付けようとする。上空から航空機の爆音が聞こえてきた。校内放送が機械的な声で繰り返す。「全員すみやかに集合して下さい。ただいま八王子方面から○○部隊がこちらに向かっています。」。…○○部隊とは何だろう?ぼんやりとそんなことを考えていると、ドアをノックする音がした。ドアを開けてみると、数年前に卒業した元ゼミ生が立っている。「お、G君じゃないか、どうした?」G君は無表情に直立したまま、「先生、ご同行を願います」とだけ言った。見ると、彼は褐色の制服に身を包んでいて、上腕部に赤い腕章を巻いている。G君は長身だが気弱すぎるくらい優しい性格だった。西洋美術が好きで、私が美術館に誘うと喜んでついて来た。その彼には似合わない恰好だ。「同行って、どこへ?」と問うと、彼は早口で答えた。「命令により、お答えすることはできません」。G君に腕をとられて戸外に出ると、鉄錆色の金属で覆われた護送車が待っていた。遅まきながら私は悟った。1930年代のドイツ・ユダヤ人の運命がいまや私自身のものになったことを。私がゼミで語ったその歴史を、G君も真面目に学んでいたのだ。

――これは、過去16年ほどの間、つまり「君が代・日の丸法制化」以降、折に触れて私の脳裏に浮かび上がる妄想である。

「頑張れ、ニッポン!」…東日本大震災以降訪れたファシズムの恐怖

2012年9月22日、東京で保守団体である「頑張れ日本!全国行動委員会」の主催で開かれた反中デモで女性が髪に花をつけて日の丸を持ってデモに参加している

2011年3月11日、東日本大震災の揺れに襲われた時、私は勤務先で教授会の真最中だった。緊急放送の指示で建物を出て中庭に退避した。その時、ぞろぞろと建物から出てくる学生や同僚の姿を眺めながら、激しい既視感にとらわれた。あの馴染みの妄想の一場面である。

≪3・11≫の直後から、昼夜となく執拗に流される「ガンバレ、日本!」という呼号を耳にしながら、私はファシズム到来の危機を感じた。地震と津波は天災である。しかし、原発事故はあきらかな人災であった。しかも被害者は日本国民だけではない。外国人も、未来の人々も、地球環境そのものも、収拾不可能なまでの被害を受けたのだ。つまり、原発事故は「被害の物語」としてだけ語られてはならず、明白な「加害」なのである。その認識が、日本国の官民にあるか?それがあるとすれば、どうしてここまで自己中心的な、内向きの語りに終始することができるのか?どうして、自分たちの慰め、自分たちの「復興」ばかりを強調することができるのか?これは、戦後日本の「戦争についての語り」と同じ構造を反復している。…

≪3・11≫後、「ポスト3・11」という言葉が語られる一時期があった。これほどの災禍を経験した以上、利潤追求や大量消費を至上価値とする文明観や価値観が根本的に問い直されるだろう、社会的に共有される価値観も個人の生き方も根本的に変わらなければならない、そういう声が聞かれた。「原子力ムラ」に代表される、政・官・財・学、メディアまで含めた、癒着、相互依存、無責任の構造と決別しなければならないという課題が提起された。「再生」ではなく「更生」が求められた。だが、それは一瞬に過ぎなかった。

「福島原発事故」の加害責任を、今日まで誰も問われないままである。それどころか、安倍政権は「世界一安全な日本の原発技術」を喧伝しながら原発輸出に邁進し、全世界に向けて「アンダーコントロール」という虚言を弄して東京オリンピックを招致した。国民多数が、これを虚言と承知の上で喝采したのである。かつて「軍部にダマされた」と言った日本国民たちは、今は自らすすんでダマされることを選んでいる。折しも数日前、鹿児島県の川内原発が、事故時の住民避難計画も不完全、責任の所在もあいまいなまま再稼働した。歴史は粛々と繰り返されている。

藤田省三,こんな時彼ならどう言うだろうか

こんな時、あの人ならどう言うだろうかと、かつて知己を得た尊敬する幾人かの先人を私は思い浮かべた。哲学者の古在由重、岩波書店社長だった安江良介、そして政治思想家の藤田省三といった人たちである。

藤田省三先生(以下、敬称を略す)に「松に聞け」という文章がある。1982年に社会文化研究会という小さな研究サークルで発表したもので、飯田泰三氏が私的に保存していた未公刊のテクストである。(『藤田省三著作集7―戦後精神の経験Ⅰ』みすず書房刊、所収)

1963年に乗鞍観光道路が開発されたことを契機に、この小文は書かれた。藤田はこう述べる。

―「山」の歴史はかくて終わった。それによって「外界と他者に対する受容器が根本的な損傷を蒙った」のである。犠牲になった生物の一つに「ハイマツ」がある。高山の風雪に耐え、固い瘠せ地に「這う」ようにして生きてきた植物である。きわめて成長が遅く、ひとたび伐採されると再生は困難だ。そのハイマツが観光開発のために「殺害」されたのである。この開発は「高度成長」の所産であった。しかし、それだけではない。「人々が一斉に『便宜』を求めてその異常な膨張過程に『参加』した」のである。

この一般人の「参加」を藤田は「安楽への全体主義」と呼んだ。

藤田をこの小文を以下の数行で結んでいる。私自身、福島事故の直後から繰り返し想起し、紹介してきたものだ。

「この土壇場の危機の時代においては、犠牲への鎮魂歌は自らの耳に快適な歌としてではなく、精根込めた他者の認識として現れなければならない。その認識としてのレクエイムのみが、かろうじて蘇生への鍵を包蔵しているというべきであろう」

1945年までの軍国主義的全体主義には、広島・長崎の被爆とその放射線被害によって一応の終止符が打たれたかに見えた。だが、戦後の高度成長と「安楽全体主義」に形を変えて生き延びた。福島原発事故はこの「安楽全体主義」の破綻を示すものであったはずだ。だが、≪3・11≫から4年余り、「犠牲への鎮魂歌」は「自らの耳に快適な歌」としてのみ歌われ、「精根込めた他者の認識」は成し遂げられなかった。敗戦が被害諸民族への謝罪をともなわなかったように、「フクシマ」も被害者への謝罪をともなわない自己本位な物語に終始した。日本社会はまたも、敗戦に匹敵する更生の機会を逸したのである。

「松に聞け」で藤田が挙げる「他者」は「ハイマツ」に代表される「自然」である。それは、「自然」からの収奪を本質とする資本主義的利潤獲得様式に対する根本的な抗議であるといえよう。

 ここでの「他者」は「ハイマツ」であるが、もちろん藤田の念頭には、外国人、異性、少数者などの多様な「他者」があるだろう。とくに日本近代の思想を問題にする時、「他者」(アジア諸民族)認識の欠如は決定的に重要な視点だが、藤田はそのことを指摘してきた少数の知識人の一人である。

1960年の日米安保条約強行採決に続いて、高度成長時代の到来が謳歌され、皇太子(現天皇)の成婚と「ミッチーブーム」、東京オリンピックなどで日本社会が湧きたつ中、ベトナムでは無慈悲な戦争が進行していた。日韓両国はそれまで14年間にわたって国交正常化交渉を重ねてきたが、「植民地支配責任」を日本側が認めないことが最大の障碍となって交渉は停滞していた。だが、泥沼化したベトナム戦争に日韓両国を巻き込み利用する(日本からはカネと基地、韓国からは兵隊を提供させる)ことを当面の目標として、アメリカが日韓両政府に圧力をかけた結果、1965年に日韓条約が締結された。韓国では朴正熙(パク・チョンヒ)軍事政権が戒厳令を発布して国民の反対運動を弾圧した。日本は20世紀の前半まで植民地支配した他者である朝鮮民族(朝鮮民主主義人民共和国を除く)と、敗戦20年後に、そのようにして再会したのである。

この他者との出会いにおいて「植民地支配」の歴史にどう向い合うべきかが問題化されるべきであるのは当然だった。しかし、そのような問題を提起した日本知識人は少数にとどまる。多くは日韓条約の結果、望まない戦争に日本人が巻き込まれるのではないか、という認識の次元にとどまった。それはそれで間違いではない。しかし、そこからは相変わらず「他者」認識が欠落し、したがって自国の植民地支配責任認識が欠如している。

植民地支配と原発事故を対面する日本社会の共通点

2011年東日本大震災の津波被害を受けた福島県南相馬市小田区海岸住宅が2014年3月まで壊れたまま放置されている=ジョン・ヨンイル記者//ハンギョレ新聞社

福田歓一、石田雄、日高六郎、そして藤田省三の4者が、「戦後民主主義の危機と知識人」と題する座談会を行っている(初出「世界」1966年1月号、『藤田省三対話集成1』みすず書房所収)。その座談会で、日高は「今度の日韓条約締結は、政府自民党の内部に植民地主義的発想が、依然として存在しているということを露呈したし、国民それ自体のなかにも、それが清算されていないことを明らかにしたと私は思います」と述べた。福田は「この問題(ナショナリズム)について自分自身のなかにあるコロニアリズムをどこまで掘り下げて処理することができるかということに、まさに、ナショナリズム論の重要な試金石があると思うのです」と応じている。藤田は「日本国憲法の精神は、自己の侵略戦争に対する自己批判を誇りにしており、この誇りの上に国民的統一を建設しようという世界ではじめての課題を掲げてきたわけです。(中略)その新しい国民意識の建設の国民的意図が、いまここで日本の権力の手でみじめに潰えさせられるのではないかという感じさえします」と述べている。さらに藤田は、この議論のなかで、日本ナショナリズムの「自己目標化」という概念を提示した。「(オリンピックや万国博といった)与えられた目標にだけエネルギーを集中する、その結果、日本は高度成長した。けれども、それは目標なき社会であることに変わりはない。(中略)目標なき社会に耐えられなくなってきて、日本の目標を日本それ自体に置こうとする、自己の事実を目標にするという倒錯現象が起こってきている。(中略)それが、いま噴出してきつつある、国民的自己批判のうえに立つナショナリズムと反対のナショナリズムではないでしょうか」

ちょうど半世紀前のこの指摘は、現在の状況に照らしてみるとき、ますます真に迫るものがある。「他者」(朝鮮民族)との再会を契機にこのような「自己目標化」されたナショナリズムが噴出し、その後、紆余曲折を経たとはいえ、自己中心主義が痼疾化して日本社会に定着した。藤田、福田、日高、石田のような認識は、たしかに少数ではあるが、過去の日本社会に存在した。しかし、その声は「安楽全体主義」によって孤立させられ、「精根込めた他者の認識」は成し遂げられなかった。近代日本においては「他者」は自己認識を更新するための批判的参照軸としてではなく、対抗的な自己肯定や自己賛美のための素材としての役割を負わされてきた。そのもっとも醜悪な到達点が、現在の反中・嫌韓論の横行である。

反中・嫌韓…暴れる「安楽全体主義」と新自由主義

2013年3月31日、韓流通りと呼ばれる東京新大久保の街角で、日本の右翼団体の会員たちが「韓国人がテレビに出ないようにしろ」というスローガンを書いたプラカードなどを持ってデモを行っている=東京/チョン・ナムグ記者//ハンギョレ新聞社

人間が断片化された、という感が深い。そのことが「安楽全体主義」の跳梁を加速化させている。手短に一例だけを挙げよう。文部科学省は去る6月、全国の国立大学に「教員養成系、人文社会科学系学部の廃止や転換」を検討するよう通達した。理由は「社会的ニーズ」に応えるためだという。ニーズ? いったい誰の? それはつまり新自由主義体制の支配層の「ニーズ」であろう。これでは若者たちは、哲学、歴史、文学、芸術などに触れる機会を得られないまま、他者と対話するすべを知らず、他者はおろか自分自身の権利を守るすべも知らずに成人するほかない。そのような「機械化・野蛮化」(渡辺一夫)された労働者・消費者を大量生産することが資本の利益に合致するのだ。

断片化された人間の視野は狭く、時間尺度は短い。したがって「他者」が見えない。数百年後はおろか、数十年後の人類の運命すら想像できない。目の前で起きている事象をその由来にさかのぼって反省的に考察することができない。このような、合理的判断力と歴史意識を欠いた人間は、人種、民族、国籍、性別、階層といった属性によって相手を決めつけること(差別)や、国家に無批判に自己同一化して他者を一律に敵視すること(戦争)に役立つ存在なのである。さらに寒心に堪えないことは、こうした政府と資本の企図に対する広汎な批判や抵抗が、知識人の間からさえほとんど起こって来ない現実である。

ジャン=ポール・サルトルはその著書『ユダヤ人』で、反ユダヤ主義(ひろく人種差別主義)は思想ではなく、「ひとつの情熱である」と述べている。そうだ、それは実証性や論理的整合性とは無関係な、ひとつの非合理的な情熱なのである。いわゆる「安保法制」をめぐる昨今の安倍晋三首相の発言や国会での政府答弁を聞いていて、私は安倍氏とその支持層の執拗な「情熱」に息を吞む思いがする。筋の通らないことをオウムのように反復する能力を持つ彼等は、その非合理的な情熱ゆえにどんな論戦にも不敗なのだ。

東日本大震災、福島第一原発の苛酷事故をへた現在、私の目に見える日本社会には荒涼とした風景が広がっている。都市の街頭で、「市民」と称する人々のデモ隊が拡声器で堂々と、「朝鮮人の女はレイプしてもいい」「朝鮮人は首をつれ、焼身自殺しろ!」と叫んでいる。お望みとあれば、インターネットでいくらでもその風景の一端を見ることができる。さらに不吉なことは、こうした極右排外主義勢力と現在の日本政府中枢部とが親和的な関係を持っていることだ。

 2012年12月の総選挙で自民党が大勝し政権政党に復帰したが、その際の街頭演説の光景を忘れることができない。秋葉原の駅頭で演説する安倍氏を、日章旗を打ち振って歓呼する「市民」たちが取り巻いて、反中・嫌韓・在日外国人排斥を叫んだ。その群衆に向かって、安倍氏は満面の笑みを湛えて手を振った。そういう社会で、朝鮮人という他者が暮らしていくということがどんなことか、想像できるだろうか?

副総理兼財務大臣であり日本会議最高顧問の麻生太郎は2013年7月の講演で、改憲の手順について、「ナチの手口に学んだらどうかね…」と述べた。その発言に、その場(国家基本問題研究会)に集まった財界人や政治家たちもゲラゲラ笑って応じた。自民党の改憲案には、ナチスの非常大権法と同種の条項がある。麻生氏はたんに軽口を叩いたのではなかった。日頃、仲間内で語り合っている本音を漏らしたのだ。麻生氏は主に海外メディアからの批判を受けて発言を撤回したが、日本国内ではさして問題化されず、責任を問われることもないまま職にとどまっている。実際にそれ以後の安倍政権の戦略は、「ナチスの手法」をしっかりと学んでいるものといえよう。自民党の「文化芸術懇話会」(なんとシニカルな名づけであることか!)に集まる面々などは、まさしく「モッブ(mob)」と呼ぶべきであろう。この面々がひとつの国家の「文化芸術」全般を統制するという悪夢が現実味を帯びている。不意にドアがノックされる時が、迫っている。

ナチスに学ぶ政治権力は、国民多数の中に潜在する差別意識を煽り立てて自己の基盤を固めることを常套手段とする。安倍政権も、今後かりに安保法制の成立が危ぶまれる事態になると、中国・韓国・北朝鮮への敵愾心や在日朝鮮人をはじめ外国人への差別意識を煽ることで乗り切りを図るかもしれない。その時、その排外主義の高潮を斥けることができるかどうか、日本国民多数が問われるであろう。

安保法制反対運動、期待と限界

国会前を中心に連日展開されている、若い世代を含む安保法制反対運動に、今までにない新しい動きとして大きな期待をかけるムキもある。ひょっとすると、このような動きの結果、短期的には今回の法案が審議未了に追い込まれる可能性もないとはいえない。だが、かりにそういうことが起きたとしても、より長い尺度で見る時、安保法制に反対する人々が、「自分たちが他人の戦争に巻き込まれるのはゴメンだ」という、それ自体はしごく正当ではあるが私的に断片化された動機からさらに一歩踏み出して、想像力を他者に馳せ、自らがすでに十分すぎるほど他者に加害してきた日本国家の構成員(主権者)であり受益者でもあることを自覚して、日本国家そのもののありようを根本から問い直す次元に至ることができなければ、今日までの歴史が今後も繰り返されるほかないであろう。今回の動きが近代史上はじめて日本国民が自己中心主義を打破して他者と対話し、他者と連帯して平和を構築する契機となりうるだろうか。そうなるであろうと楽観する材料は、今のところ見出しがたい。だが、この希望(まれな望み)にむけて、私は人々を励ましたい。

日本の高校生が2日、東京の繁華街である渋谷で安保法制制・改正に反対し、「戦争反対、もっぱら平和」と書いた横断幕を持ってデモをしている=資料写真//ハンギョレ新聞社
 本稿の筆を擱こうとした時に、安倍首相の「戦後70年談話」の内容が報じられたので、簡単に数点のみ指摘しておく。「安倍談話」は冒頭で、「日露戦争が、植民地支配のもとにあった多くのアジア・アフリカの人々を勇気づけた」と述べている。この認識は安倍氏のみならず、長年にわたって日本保守派に広く共有されてきたものの繰り返しだが、少なくとも朝鮮民衆の立場からは到底容認できない暴論である。日露戦争は中国東北地方(満州)の覇権をめぐる戦争であり、朝鮮はそのための兵站基地として日本によって軍事占領された。その時、軍事占領下で外交自主権を剥奪され「保護国」とされたことが、のちの「併合」(植民地支配)へと直接につながっていった。植民地化に抵抗した「抗日義兵」をはじめとする朝鮮民衆が無残に弾圧され殺戮されたことも歴史の事実である。つまり日露戦争は、日本による朝鮮植民地化戦争の一環なのである。安倍氏は、その朝鮮民族に向かって、日露戦争を引き合いにして自国を美化してみせた。ほんとうに「わかっていない」のか、それとも確信犯的な「ハラスメント」行為なのか。いずれにせよ、これは対話の拒否に等しい。

「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」というくだりもあるが、これは「慰安婦」(日本軍性奴隷)を指すことばだろうか。そうであれば、なぜ明示的に語らないのか。「忘れてはなりません」とは、誰が誰に向かって教え諭そうというのか。しかも、「傷つけられた」と受動態で語っており、誰が傷つけたのかという主語は意図的にアイマイにされている。「日本国家によって」と主語を明示してこそ、いささかでも反省の意が被害者に伝わるであろうに、安倍氏にはそのつもりはなかったようだ。

徐京植東京経済大学教授 //ハンギョレ新聞社
 「安倍談話」は、その結語部分で、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べている。だが、謝罪すべき主体はまず国家であり、謝罪しない国家の主権者であるという限りにおいて、戦後生まれの世代は応分の責任を負うことになるのである。若い世代を国家の共犯に引き入れ、「謝罪を続ける宿命」を負わせているのは日本政府そのものではないか。

いまはこれ以上詳しく論じる紙数は残されていない。ともあれ、いかに「キーワード」のみを形式的に取り揃えようと、こうした認識自体を根本的に反省しない限り、「安倍談話」がたんなる政略的底意にもとづく空疎な美辞麗句であることは隠しようもない。安倍氏個人の歴史修正主義者としての面目もまた遺憾なくさらけ出された。アジアの被害諸民族から激しい反発を受けること必至である。近代史を通じて他者と出会うことができず、対話することができなかった日本国は、ここでまた他者との出会い損ねを重ねたと言うほかない。

徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-09-19 12:18

http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/709579.html?_fr=mt4

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