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[コラム] 「きみ、それでも日本人か」「いや、まず人間だよ」

登録:2014-12-08 23:21 修正:2014-12-12 01:58
徐京植東京経済大学教授
絵:キム・ビョンホ画伯//ハンギョレ新聞社
加藤周一『羊の歌』『続羊の歌』(1968年岩波新書)//ハンギョレ新聞社

加藤周一『羊の歌』『続羊の歌』(1968年岩波新書)

 加藤周一が2008年に満89歳で世を去った時、私は故人を追悼する意を込めて当時ハンギョレに連載中だったディアスポラの目というコラムの一回を割いて「ある教養人の死」と題する一文を草した。“私は人生を列車と同じだと想像する時がある。 私たちは誰でも何かの偶然な契機にこの世という列車に乗ることになる。(中略)偶然乗り合わせた乗客の中に加藤周一という‘先客’がいたことは、私にとって小さな幸運だった。 時がくれば誰もがその車両を降りて行く。 今、先客の加藤周一先生が客車からおりた。(中略)韓国で<羊の歌>を翻訳する計画があるという。 韓国の読者が加藤周一をどのように読むのか、どうしても知りたい。”

 『羊の歌』は加藤周一の自伝的回想であり、私にとっての「古典」だ。ただ、上記の文章を書いたころには確かに、私の知人たちの間で「羊の歌」を韓国に翻訳紹介しようという具体的な動きがあったのだが、どういう理由か、私の知る限り、それから6年たった現在も実現していないようだ。(今回、この文を書くためにインターネットを検索してみたところ、「羊の歌」という漫画は出ているが、もちろん、それは加藤周一の著書ではない。)

 『羊の歌』(正、続)は1966年11月から67年12月にかけて、当時の日本で進歩的知識人や学生に読まれた週刊誌「朝日ジャーナル」に連載され、1968年に岩波書店から刊行された。執筆当時、加藤周一は40代後半であり、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学に教授として在職中であった。

 その時、私は京都に住む高校生だったが、同じ高校の、この作品を熱愛する友人に熱心に勧められて、初めて手に取ってみたのである。その本の印象は鮮烈だった。そこには第2次大戦前に日本のエリート家庭で生まれた青年が水準の高い教育を受け、高尚な芸術を語り、リベラルな人々とつきあいながら成長していく姿が描かれていた。

 大地主の家門出身で、裕福な医師の子であり、東京大学を卒業して欧米各地に学び、数か国語に堪能で、文学、美術、音楽に深い造詣を持ち、一流の知識人たちと自然な交友関係を結び、カナダの大学で教壇に立っている知識人。…それは教育のない在日朝鮮人の子弟で、反抗的な文学少年であった私にとって、民族的にも階級的にも、文字どおり対極的な存在だった。世界はベトナム反戦運動の高揚のただ中にあった。日本では全共闘が「自己否定」というスローガンで、知的エリートとしての特権をすすんで放棄すべきだと叫んでいた。中国で進行中だった文化大革命では知的労働と肉体的労働の差別撤廃が主張されていた。私の友人の何人かはエリート層として生きることを拒絶するため大学受験を拒否すると宣言した。私はそんな主張に心情的に共感していた。彼らと同じ行動を私がとらなかった理由は、私自身の小心さを別にすれば、自分は朝鮮人である、日本人である友人たちとは別の道、朝鮮人である自分に固有の課題――たとえば祖国の民主化や民族統一などがあるはずだ、という漠然とした意識でしかなかった。そういう自分からみれば、加藤周一のような知的エリートは、その知性が一流であればあるほど、私にとっては批判し克服すべき対象だった。「羊の歌」を読むように勧めてくれた学友のことを、彼も結局はエリート的教養主義に憧れているに過ぎないと内心で軽蔑した。17歳の私のこのような反応は、いま思えばいささか単純だったにせよ、真剣なものだったといまも思う。その加藤周一と、自分の人生の過程で、後に知己を得、交わりを持つことになろうなどとは、想像すらできなかった。

 あれから長い年月が経過し、ベトナム反戦や大学解体を声高に叫んでいた人々の大部分はその後の経済成長の受益者となり、体制内化して、日本社会の右傾化に対してもほとんど無抵抗に終始した。だが、ふと気がつくと、老いた加藤周一は少しもブレることなく、平和や人権といった普遍的価値を一貫して守り続けて立っていたのである。加藤周一は晩年の日々を憲法9条(戦争放棄条項)を守る運動に捧げた。

 『羊の歌』に戦争中、大学生だった頃のこんな追憶が語られている。“私がいちばん強い影響を受けたのは、おそらく、戦争中の日本国に天から降ってきたような渡辺一夫助教授からであったにちがいない。渡辺先生は軍国主義的な周囲に反発して、遠いフランスに精神的な逃避の場を求めていたのではない。(中略)日本の社会の、そのみにくさの一切のさらけ出された中で生きながら、同時にそのことの意味を、より大きな世界と歴史の中で見定めようとしていたのであり、自分自身と周囲を内側からと外側から「天狼星の高みから」さえも、眺めようとしていたのであろう。”

 16世紀フランス思想の専門家である渡辺一夫教授は、日本全体を軍国主義の狂気が覆い尽くしていた時に、同時代のフランスを中心とする欧米著作を読みふけり、16世紀という宗教戦争や異端審問の時代にユマニストたちが説いた「寛容」の意味を想起していた。まさに、自分の身を置く社会の現実を「内側と外側から」眺めていたのである。多くの知識人たちまでもが狂信的な天皇崇拝や軍国主義へと転落するなかで、渡辺教授を転落から守り、加藤周一など数人の弟子に進むべき道を指し示すことができた理由がこれであった。

 加藤周一にこんな短文がある(2002年6月24日朝日新聞「夕陽妄語」)。“むかし1930年代の末から45年まで、日本国では人を罵るのに「それでもお前は日本人か」と言うことが流行していた。(中略)日本人集団への帰属意識を中心として、団結を強調し(一億一心)、個人の良心の自由を認めず(滅私奉公)、神である天皇を崇拝する(宮城遥拝)。(中略)多くの日本人はそういう規格に合わせて生きていたのである。”

 続けて加藤周一は、戦争末期のある日、友人である白井健三郎(フランス文学者、戦後はカミュやサルトルの翻訳を手がけた)が別の学友に「きみ、それでも日本人か」と難詰された挿話を紹介する。白井は落ち着いて「いや、まず人間だよ」と答えたのだという。

 “モンテスキューは、自分自身よりも家族を、家族よりもフランスを、フランスよりも人間の世界全体を愛すると言った。” こう述べたのち、加藤周一は続ける。“「まず日本人」主義者と「まず人間」主義者との多数・少数関係は、45年8月(敗戦)を境として逆転した―ように見える。しかし、ほんとうに逆転したのだろうか。もしそのとき日本人が変わったのだとすれば、「それでもきみは日本人か」というせりふをこの国で再び聞くことはないだろう。もしその変身がたんなる見せかけに過ぎなかったとすれば、あの懐かしい昔の歌が再び聞こえてくるのも時間の問題だろう。あの懐かしい歌を繰り返しながら、軍国日本は多数の外国人を殺し、多数の日本人を犠牲にし、国中を焼土として、崩壊した。”

 加藤周一の死から6年余、日本国には「昔の懐かしい歌」どころか、在日朝鮮人を標的とするヘイト・クライムや韓国・中国を敵視する好戦的言辞が溢れている。そもそも総理大臣自身が「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻せ!」と叫び、国民多数がどんな理由からであれ彼の率いる与党を支持しているのである。

 加藤周一が存命だったらどういう態度を見せるだろうか? それについては、私には確信のようなものがある。彼はすこしも揺らがず、孤立を嘆くこともなく、普遍的な自由、人権、平和の価値を説き続けたであろう。カナダの大学で働いていた時、加藤周一は学生たちや同僚のベトナム反戦運動に参与した。そのことを回想して、こんなことを述べている。大学での反戦討論会である政治学教授が立って、戦争とは諸君が考えているような単純な現象ではなく、その複雑な原因を知らずに反対しても止められるようなものではないと述べた。“私(加藤)はなるほどと思い、同時に、政治学者が現状の説明に成功すればするほど現状の肯定に傾かざるを得ないのではないか、と考えた。(中略)もし与えられた条件を変えることができないとすれば、必然的結果を変えることもできない。したがって必然的結果=現状に反対することの意味もなくなるだろう。しかし、戦争のような極度に複雑な現象については、その必然性は見かけのものにすぎない。あまりに条件の多い現象は、厳密に因果論的過程として理解することはできない。戦争に反対するのは科学者としての認識の問題ではなく、人間としての価値の問題である。爆撃の下で毎日子供が死んでゆくのは容認できない、ということ、それは議論の結論ではなく、出発点である、ということだ。”

 このような警告を残して、加藤周一は世を去った。そんな知性、日本にはまれな抵抗するユマニスムがどのように生まれ、育まれたのかを語っているのが「羊の歌」である。もはや詳しく述べる紙数が残されていないが、「羊の歌」には女性たちとの交情についても多く記述されている。彼は冷徹な数学的理性の人であると同時に、多情多感の人でもあった。戦争直後の京都、パリ、フィレンツェ、ウィーンを舞台とするそれらの場面は、まるで上質な映画を観るような印象を私に与える。若かった私がこの本に激しく反発しながら同時に強く憧れたのも、そういう理由によるかもしれない。

徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授

 「人間」という価値が、加藤周一が確信しているほどに揺るぎないものかどうか。アウシュヴィッツ以後、そして現在も、毎日のようにその価値は根底から脅かされている。だが、その価値を放棄することが何を意味するかはすでに明らかではないか。加藤周一の著書を私が「古典」の列に加えるのは、そのことを思い出すためである。韓国でもこの本が翻訳紹介されることを、私は望んでいる。それは日本社会や日本人を深く理解するためだけではなく、現在「人間」が瀕している危機を考察するためにも有益であるに違いない。

徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/667599.html 韓国語原文入力:2014/12/04 20:12
(4294字)

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