登録 : 2015.09.12 07:57 修正 : 2016.01.01 08:57

ショニバレによるアフリカ布アートの代表作 「Gallantry and Criminal Conversation (情事と性交)」=大邱市立美術館提供//ハンギョレ新聞社
 日本の安倍晋三首相が、去る8月14日、いわゆる「戦後70年談話」を発表した。この談話について、私の印象を一言でいうと、「植民地支配認識の否認」、「歴史修正主義」そのものということになる。

 談話の冒頭から、西洋による植民地支配の波がアジアに押し寄せたが、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」というくだりが現れる。あらためて指摘するまでもないことだが、日露戦争は中国東北地方(満州)をはじめ東アジアの覇権を争う帝国主義戦争であった。そのため朝鮮半島は軍事占領され、大韓帝国は「保護国」にされ、義兵をはじめとする民衆の抵抗は無残に弾圧されて、のちの「併合」(植民地支配)へとつながっていった。このような歴史の事実に対する公然たる否認から、安倍談話は始まっているのである。

 それに続けて、「世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました」と安倍談話は述べている。この主語不在の文章によって、当時の日本国がどの立場に立っていたかを隠蔽しているのである。日本は大戦中から中国に対して「21か条」要求を突きつけ、終戦後、旧ドイツ領だった中国の山東半島や、南太平洋を略取した。日本は「民族自決」の側に立っていたのではなく、それを弾圧する側にいたのである。そのことは3・1独立運動に対する日本の対応だけを見ても明らかである。日本はアジア諸民族とともに手を携えて欧米列強に抵抗し、「邪(よこしま)」な道から抜け出るべきである、と説いた3・1独立宣言の精神を踏みにじったのは日本である。ここではこれ以上詳細に述べないが、これほどまでに明白な虚言を平然と展開して見せたのが安倍談話だった。

 それ以上に(今さら驚きはしないが)印象深かったことは、上記したこの談話の根本的な問題点を指摘する声が、日本社会において、メディアや知識界も含めて、あまりにも微弱であることだ。ある新聞の調査では、安倍首相の支持率は、この談話のあと5パーセント程度上昇したらしい。歴史修正主義は安倍氏をはじめとする一部右派人士だけのものではない。その裾野は広く、その根は日本国民多数の意識に深く根を張っている。どうやって、この人々の心の奥底に潜む「継続する植民地主義」をえぐり出すことができるだろうか?…これは私たちの側に投げられている深刻な問いだ。

 ことし3月のある日、私はロンドンのスタジオにアーティスト、インカ・ショニバレ氏を訪ねた。車椅子にのって現れた彼は、1時間半ほどの対話中、明晰な言葉でよく語り、よく冗談を言って笑った。

「アフリカが世界のアートの会話に現れ始めたのは1980年代からです。その当時、多くのアーティストが、それまでの西欧的規範に挑みました。「アーティストはホワイトではない」という美術史上最初の表明でした。これが私の出発点にあり、大きな影響を受けました」

 インカ・ショニバレはナイジェリア人の両親のもと、1962年にロンドンで生まれた。

 「私がアートカレッジにいた頃、教授が私に、『なぜアフリカについてやらないの?正統的なアフリカのアートを…』と言ったのです。それがどういうことか、私はよくわかりませんでした。私は西欧近代の価値観に育まれて成長したので、『正統的なアフリカのもの』とは何を指すのか、わからなかったのです。だから、私はロンドンの市場に行き、アフリカ布を扱う売り場で尋ねました。すると、私がアフリカ産と思っていた布が、実はインドネシア、オランダ、イギリスによる製品であることがわかった。つまり、アフリカのアイデンティティが植民地主義と結びついていることに気づいたのです」

 色彩豊かな「アフリカ的」布を用いたインカ・ショニバレのアートは、このように生まれた。私たちの多くが「アフリカ的」と信じていた布は、インドネシア起源のロウケツ染めの技術が植民地宗主国オランダによってヨーロッパにもたらされ、イギリスのマンチェスターでデザインされ大量生産された製品がアフリカに輸出されたものなのである。原材料の綿はこれもイギリス植民地であるインドか東アフリカ産である。つまり、私たちが「アフリカ的」と思い込んでいる布の色や柄は、実際には近代の植民地支配の過程で宗主国が植民地に押しつけて来たものなのであった。

 ショニバレは教授が求めるままに「アフリカ的」なものを差し出すのではなく、また、「アフリカ的」なものを拒否して「イギリス的」なものに同一化するのでもなく、「アフリカ的」とは何か、というアイデンティティそのものへの問いを作品化したのである。それはもちろん、ひるがえって「イギリス的」とは何か、という問いでもある。

ショニバレによるアフリカ布アートの代表作 「Gallantry and Criminal Conversation (情事と性交)」=大邱市立美術館提供//ハンギョレ新聞社
 2002年の「ドクメンタ11」展で、私はショニバレによるアフリカ布アートの代表作「Gallantry and Criminal Conversation(情事と性交)」を見ることができた。ヴィクトリア朝時代の団体旅行がこの作品のモチーフだ。登場する男女が身に着けている衣装のデザインは典型的なヴィクトリア朝スタイルだが布地は派手な模様のアフリカ布である。ヴィクトリア朝時代の大英帝国が世界に覇を唱え、アフリカを植民地化して巨大な富を得たこと、その富によってイギリスの上層市民に団体旅行が普及したことは歴史的な事実である。ショニバレはそのことを、彼独特の優雅なやり方で観客に気づかせるのだ。

インカ・ショニバレの作品「Diary of a Victorian Dandy」。 そこはヴィクトリア朝式邸宅の図書室で、19世紀に典型的であった背の高い本棚やしっかりした楢の木でつくられたデスク、インド製もカーペットなども見て取れる。中心には白人男性のグループに囲まれ本を手にした若いアフリカ人ダンディーがいる。ドアには女性の召使がひしめき、そのダンディーをうっとりと見つめている=大邱市立美術館提供//ハンギョレ新聞社
 1998年10月、インカ・ショニバレの作品「Diary of a Victorian Dandy」シリーズがロンドンの地下鉄駅100箇所ほどに展示された。

 そこはヴィクトリア朝式邸宅の図書室で、19世紀に典型的であった背の高い本棚やしっかりした楢の木でつくられたデスク、インド製もカーペットなども見て取れる。中心には白人男性のグループに囲まれ本を手にした若いアフリカ人ダンディーがいる。ドアには女性の召使がひしめき、そのダンディーをうっとりと見つめている。(写真)

 この作品に描かれているのは「あり得なかった世界」である。19世紀のイギリスで、ダンディーという社会的に優位な地位をアフリカ人男性が占めるということは、ほとんどあり得ないことだった。地下鉄駅で毎日毎日、この表象に出遭うことになったイギリス人マジョリティの反応は、どういうものだったのだろう?あるものは不快に思い、あるものは共感しただろうが、すくなくとも自国が行った植民地支配の事実、その傷痕、触れてほしくない罪責を思い出させられただろう。たとえ居心地が悪くなろうとも、心の奥深く分け入って脱植民地化を進めるためには、こういう問いかけが必要なのだ。

大邱市立美術館で開かれているインカ・ショニバレMBE:展示会「燦爛とした庭園に」の案内ポスター=大邱市立美術館提供//ハンギョレ新聞社
 第二次大戦に敗戦したファシズム諸国家の中で、戦前と同じ君主の家系を頂き続け、同じ国歌国旗を使い続けている国は日本だけである。英国のような戦勝国ですら、少なくとも建前としては、戦後は旧植民地諸民族との「多文化共生」を掲げてきた。だからこそショニバレのようなアーティストが活動する空間がある。それを考えると、日本はきわめて特殊な国だというほかない。20世紀前半までに人類社会が甚大な犠牲を代償として手に入れた、平和、人権、平等、反差別といった知的・思想的達成に対して頑固に背を向け、国民多数もその狭量な自己愛に安住しているのである。

徐京植東京経済大学教授 //ハンギョレ新聞社
 インカ・ショニバレの作品は日本ではどう見られるだろうか?せいぜい「ポストコロニアル・アート」の代表的作品として知的に消費されるばかりで、それを日本の立場に置き換えて省察する者は少ないに違いない。現在、インカ・ショニバレMBE:展示会「燦爛とした庭園に」が大邱市立美術館で開催中だ(10月18日まで)。韓国の観客は、彼の作品にどう反応するだろうか?

徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-09-10 18:58

http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/708315.html

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