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[コラム] マルク・ブロックの愛国とジョージ・ブッシュのそれとは正反対だ

登録:2015-03-06 21:41 修正:2015-03-07 06:42
奇妙な敗北 //ハンギョレ新聞社
『奇妙な敗北―1940年の証言』マルク・ブロック著 平野千果子訳、岩波書店2007年//ハンギョレ新聞社

『奇妙な敗北―1940年の証言』
マルク・ブロック著
平野千果子訳、岩波書店2007年

 1944年6月16日、フランスのリヨン郊外で28名の人々が銃口の前に整列させられた。その列に一人、上品な初老の紳士がいた。

 「彼のかたわらで、16歳の少年が震えていた。「痛いだろうな」。マルク・ブロックはやさしく少年の腕をとって、ひとこと言った。「とんでもない。痛くなんかないよ」。そして、「フランス万歳!」と叫びながら、最初に倒れた。」生き残った同志、ジョルジュ・アルトマン(シャボ)が伝えた、マルク・ブロックの最後の瞬間である(『奇妙な敗北』序文)。

 シャボは続ける。「私の目には、地下闘争の若い仲間モーリスが20歳の顔を喜びで赤く染めて、私に「新規加入者」を紹介したあの素敵なひとときが今でも浮かんでくる。それは50歳の叙勲された紳士で、端正な顔立ちに銀鼠色の髪、眼鏡の奥には鋭い視線をたたえ、片手には書類入れを、もう一方は杖をもっていた。…息づまるような追われる生活、必然のこととしての放浪生活の中で、私は「敬愛する先生(シェール・メートル)がもたらした方法や秩序への心配りに、すぐに敬服した。…「敬愛する先生」はまずは熱心に非合法活動や蜂起の初歩を学んでいた。すると間もなくこのソルボンヌの教授は、都市における地下抵抗運動という「のら犬」のような消耗させる生活を、驚くべき冷静さをもって私たちとともにしたのである。…「もし命拾いしたら、また講義を始めるよ」。彼はしばしば私たちにこう言っていた。…彼は進んですべてを人間の尺度に、そして精神の価値へと引き戻そうとした。警報、追跡、あわただしい出発、地下生活の検挙の間に、彼が必要としていたのは、よく言われるように逃亡することではなく、人生の真の領域、つまり思想と芸術の場に帰ることだったのである」

 マルク・ブロックは20世紀のフランス歴史学を代表する歴史家である。ストラスブール大学の同僚でフランス革命史研究の第一人者リュシアン・フェーブルとともに1929年に「アナール(年報)」を創立し、歴史学界に新風を吹き込んだ。主要な著書に『王の奇跡』(1924)『フランス農村史の基本性格』(1931)、それに代表作となった大著『封建社会』(1939-40)などがある。彼の名は戦前から歴史学者たちの間ではよく知られていたが、戦後、フランス思想史研究者・河野健二の「一科学者のレジスタンス」(1950年)、日本史研究者・石母田正(いしもだ・ただし)の「マルク・ブロックの死」(『歴史と民族の発見』1952年)などによって、さらに忘れがたいものとなった。ブロックの生涯を特別な光で照らしている著書は『奇妙な敗北―1940年の証言』である。日本語訳は1955年に出版された(2007年に平野千果子による新訳版が出ている)。

 私より少し上の世代にとって、マルク・ブロックという名がいかに輝かしく厳粛なものであったか、それを記憶している人はもはや多くない。戦後の日本で、フランスやイタリアにおける対独レジスタンスの物語が広く紹介され知識層の共感を得た。帝国主義国家であり植民地宗主国であった日本で、多くの人々がナチズムやファシズムへの抵抗者の物語に自己を同一化していたことは、在日朝鮮人の立場からみれば、ある意味で奇妙で皮肉な現象ともいえるが、それでも、天皇制軍国主義の復活を許さないという痛切な思いがそこに込められていた限りにおいて、好意的に評価し擁護すべき傾向であったと思う。だが、いまは「戦後レジームからの脱却」を叫ぶ安倍政権によって日本は戦争国家へと転落しつつある。反知性主義が勝ち誇り、理性や教養が公然たる冷笑にさらされている。その荒れ果てた風景を見るにつけ、あの頃(およそ60年前)の思想的・文化的蓄積はなんとたやすく失われたことかという空虚感を禁じ得ない。

 若くして第一次世界大戦に応召したブロックは、第二次世界大戦が開戦した時すでに53歳の大学教授であったが、再び進んで応召し歩兵大尉として前線に赴いた。1940年5月、ドイツ軍がオランダ・ベルギーからフランスに侵攻すると英仏連合軍は総崩れとなって退却を強いられた。ダンケルクからイギリスへの撤退戦は戦史に名高い悲劇の一つだが、ブロックはみずからこれを体験した。イギリスから再び海峡を渡って戦線に復帰したが、ほどなくパリが陥落し、彼は占領地域からヴィシー政権支配地域に脱出した。ソルボンヌ大学に復帰できなくなった彼は、ヴィシー政権地域の山村で家族と合流し、1942年夏の短い期間に「フランスの敗北に関するもっとも透徹した分析」と評される記録を執筆した。それが戦後になってから、『奇妙な敗北』という書名で刊行されたのである。

 しかし、こう言ったからといって、本書が政府の外交政策や軍の戦略・戦術的な誤謬を批判したものと誤解してはならない。本書の辛辣な批判はその次元にとどまらず、フランスの精神文化や国民の心性そのものへと及んでいる。それは容赦ない自己解剖とでもいいうるものである。限られた字数ではあるが、その一部を以下に紹介する。

 「軍隊用語から抹消したいと思う言葉が二つある。「教練」と「服従」だ。軍隊王(プロイセン王)にはよいかもしれないが、国民軍においては意味がない。」こう述べるブロックは国民軍においても規律の修練が必要であることは認めるが、それは自発的な「職業的良心の一つの形」であるべきだ、と主張する。「ある日、軍の電話交換所の女性があまりによく働くのをみて驚いた一人の将校が私の前で、なんとも復唱しがたい調子で言った。「兵士とまったく同じではないか」。だが、ここには驚きよりも侮蔑のニュアンスの方が勝っていた。こうした特権階級的な傲慢さで、国土の防衛のために全国民の中から召集された部隊を指揮することなどできるだろうか。…実際上は「服従」は外面的形式によって強制された尊敬と、ほとんどいつも混同される。」ブロックは市民の自律的判断と自発的参加を前提とする共和政体こそが、それゆえに軍事においても、君主政やファシズム国家に勝るはずだ、そうでなければならないと信じていた。だが、現実のフランスはたやすくナチス・ドイツに敗北を喫したのである。「フランスの敗北に知的要因がかかわっているのは、軍事的分野だけではない。私たちは勝者たるには、国民として不完全な知識や明晰さに欠ける思想に甘んじる習慣につかりすぎていたのではないだろうか。」

 それでも、ブロックは絶望や虚無主義に陥ることなく、1943年から44年にかけて対独レジスタンスに参加し、44年3月8日、ゲシュタポに逮捕された。ブロックは「フランスへの愛」を叫び、みずからの信念に殉じた。 今日「共和主義パトリオティズム」を論じる際、彼はその典型(または模範)としてよく例示される。だが、それは浅薄な見解ではないだろうか。たしかに彼は「フランスへの愛」を主張したが、その対象はフランス大革命の文脈の上にある普遍的な人間解放を実現するための器(うつわ)としての国家であった。その器は、理念としては、市民個々人が自律的な判断によって自発的に参加する共同体である。彼が愛したのは国家そのものというより、人間解放の理想であるというべきだ。かりに、フランスという国家がこうした理想を裏切る組織になったら、ブロックはそのフランスと闘ったはずだ。ユダヤ系出自であること、独仏の境界に位置するアルザス地方出身であることなど、彼の人間的背景がその思想と行動に決定的な影響を与えたが、それについて述べる紙面はもう残されていない。

 すべての思想と行動はコンテクスト(文脈)とポジショナリティ(位置)を抜きにして理解することはできない。「共和主義パトリオティズム」と概念規定した段階で思考停止した瞬間、ある人間がある立場を選び、ある行為をなすにいたる人間的動機への理解とが抜け落ちる。それが抜け落ちたまま概念のみを語り、概念のみが独り歩きすると、それはすぐさま形骸化し、権力化する。(同じことは「ナショナリズム」とか「フェミニズム」といった用語についても言えるだろう。)ブロックという人間に共感することと「パトリオティズム」に共感することとは同じではない。ブロックの「パトリオティズム」とジョージ・W・ブッシュのそれは正反対のものだ。分類してレッテルを貼ることに満足している限り、それは虚偽の「知性」であり、知識の断片化と形骸化に加担して反知性主義に道を開く役割を演じることになる。現在、全世界に広がる知的荒廃の背景には、このような事情が横たわっている。当たり前のことのようだが、いまブロックを想起してもう一度、明言しなければならない。知性と教養を擁護すること、それが、人間を擁護する唯一の道であると。

徐京植東京経済大学教授 //ハンギョレ新聞社

 この連載は今回でいったん終了することになった。連載がさらに続いていたら、私は以下に挙げるような本について語ったに違いない。在日朝鮮人死刑囚・李珍宇の獄中書簡集『罪と死と愛と』は韓国の読者にも深く読んでほしい。いつ読んでも面白い古典は『三国志』と『水滸伝』である。その他、『ヴァン・ゴッホ書簡集』、サルトル『植民地主義とは何か』、フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』、ポール・ニザン『アデン・アラビア』、シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界』、など。意外に思われるかもしれないが、私は推理小説や山岳小説の愛読者でもある。スウェーデンの推理小説『笑う警官』と、フランスのアルピニスト詩人ガストン・レビュファの登攀記『星と嵐』も挙げておきたい。このように見ると、韓国国内で出た本が含まれていないし、いささかヨーロッパ偏重とも見える。自身の不勉強を恥じるほかないが、これも私という存在を規定するコンテクストの正直な現れといえるだろう。そういう私が紹介した本が、韓国の読者の皆さんにいささかでも「異なる視角」を提供し、その視野と興味を広げることに役立ったとすれば幸いである。

徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/681005.html 韓国語原文入力: 2015/03/05 19:22
(4337字)

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