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[インタビュー]「経済成長が朴正煕の功績?危険な錯覚です」

登録:2020-01-04 08:44 修正:2020-01-05 18:12
「国際的な好況と国民の経済発展への熱望、
高い教育熱など国内外の要因が一丸となった合作」 
近現代史研究の権威ソ・ジュンソク成均館大学名誉教授
『現代史の話』20巻が5年で完結
ソ・ジュンソク成均館大学名誉教授が先月31日午後、ソウル鍾路区恵化路の事務室でハンギョレのインタビューを受けている。彼は最近韓国社会が近現代史の重要性を軽視しているようだと語った=キム・ジョンヒョ記者//ハンギョレ新聞社

 最近20巻で完結した『ソ・ジュンソクの現代史の話』の第8巻は『経済成長:朴正煕(パク・チョンヒ)の功績?危険な錯覚!』という少し攻勢的な副題を添えている。朴正煕の長期独裁と民主主義の弾圧を批判する人々も、彼の経済成長の功績だけは認める傾向にあるが、韓国近現代史研究の権威であるソ・ジュンソク成均館大学名誉教授は何を根拠にこのように言うのだろうか。ソ教授は高度成長を可能にした国内要因と国際的な条件を総合的に見なければならないと言いながら、このテーマだけでほとんど20分近く熱弁を続けた。

ソ・ジュンソクの現代史の話 第20巻//ハンギョレ新聞社

ソ・ジュンソクの現代史の話 第18~20巻
ソ・ジュンソク、キム・ドクリョン著/発行:5月の春 各巻1万5500ウォン

 「ドイツは1945年以後、日本は朝鮮戦争直後から70年代初期まで途方もない経済成長を遂げます。台湾は60年代初期から80年代まで高度成長をして、フランスなど西ヨーロッパも、フランコ独裁統治下のスペインでさえ60年代から経済が成長します。世界経済が良かった時期です。原油価格が1バレル当り2ドル以下と極めて低かったのです」

 世界経済の好況は1973年のオイルショック前まで続いた。ひとまず国際的条件が良かったという事実が確認されたわけだ。次は国内要因。「(4・19以後樹立された)張勉(チャン・ミョン)政権のモットーが経済第一主義でした。一番目も経済、二番目も経済、三番目も経済。張勉政権の経済開発5カ年計画を朴正煕がそのまま受け継いだのです。あの時、私たち国民の経済発展への熱望は途方もなかったのです。教育熱ももちろん高かった。李承晩(イ・スンマン)時代の小学校進学率はすでに90%を超えていました。台湾よりも高かったのです。これが経済発展の基本です。ところが李承晩政権は選挙にだけ没頭していたために経済発展に失敗したのです」

 国内要因もすでに十分に成熟していたという話だ。中南米と異なり土地(農地)改革に成功しており、(労働力の源泉である)人口移動の制約がなかった点も重要な成功背景だ。そしてオイルショック後、先進国の経済がさまよっている時に韓国はむしろ機会を得た。石油が暴騰して石油輸出国機構(OPEC)産油国のポケットが厚くなるにつれて、中東での建設特需が生じたが、これが韓国の人々の気質に合致した。「工事期限に合わせて瞬く間に作る」能力が他の追随を許さなかったのだ。「その時の建設相が(後に朴正煕大統領を殺害した)金載圭(キム・ジェギュ)でした。金載圭が大きな功を立てたのです。しかし、金載圭は「私が成し遂げたのではない。企業家の役割が大きかった」と言います。実際に鄭周永(チョン・ジュヨン、現代財閥創業者)のような人が途方もない威力を発揮したのです。朴正煕とは特別係はないのです」

 重化学工業投資も中東特需のおかげで可能だったとソ教授は語った。それ以前は政府が特別恩恵を与えようにも乗り出せる企業はなかったが、中東建設ブームで資本を蓄積した後は、財閥が誰もかれも跳び込むようになったという説明だ。「経済は朴正煕」という等式が操作された神話に過ぎないというソ教授の口頭論証は、休みなしに続いた。緊急措置9号という爆圧の中で行われた78年の12・12総選挙で野党が勝利、維新体制没落をもたらした釜馬抗争が最後には民衆抗争の性格を帯びた点など、朴正煕政府の経済実情を裏付ける事実が整然と並んだ。

 「ドイツの『ライン河の奇跡』の場合、(連邦経済相と首相を務めた)ルートヴィヒ・エアハルトの役割が大きくはあっても、その人の功績と言いません。台湾も蒋介石やその息子の蒋経国の功績とは言わないでしょう。むしろ独裁者と批判します。フランコはスペインでは(言うのをはばかれる)タブーの人物です。朴正煕が熱心に仕事をしなかったという意味ではないです。国内外の条件を具体的に突き詰めれば、朴正煕一人で成し遂げたものではないということです」

 比較的近い過去を振り返る現代史の勉強が重要な理由がここにある。一時は当然のこととして受け入れられていた事実が果たして歴史的事実に当たるのか、見直してみなければならないことが相変わらず多い。今年国家記念日に指定された釜馬民主抗争だけでも、国民がその内容をよく知らない理由は、当時の維新体制の徹底的な報道統制のためだ。戒厳宣布が完了してからようやく新聞に報道された。また、朴正煕政権は北朝鮮の南侵野望を強調する総力安保運動と反共運動を同時に進めたが、朴正煕が外信の記者に会っては「北朝鮮が本当に攻め込むものか」と言ったという。ソ教授が朴正煕演説集から確認した場面だ。戦争の可能性が低いという事実をよく知りながらも、国内統治用に北の脅威を誇張したのだ。国内では北朝鮮の南侵準備の証拠としてトンネルを大々的に宣伝したが、日本の記者に会ってはトンネルが全面戦争の手段にはならないのではないかという現実的な話をしたりする。

 2015年3月に出た第1巻『解放と分断、親日派:現代史の歓喜と交差点」を皮切りに完結までほぼ5年を要したこのシリーズの主人公を挙げよといえば、断然朴正煕だ。第5巻『第二共和国と5・16クーデター:米国はなぜクーデターに目をつぶったか』から第15巻『維新体制崩壊:金載圭は裏切り者か』まで、全20巻中でおよそ16巻が朴正煕時代を扱う。8・15解放以後、1987年まで42年中18年を統治したから当然の結果と見ることもできる。一方では、ソ教授がそれまで解放直後と李承晩時代に関しての本を多く出したからでもある。『韓国現代民族運動研究』『曺奉岩(チョ・ボンアム)と1950年代』『李承晩の政治イデオロギー』などがそれだ。ソ教授としてはそれまで常に負債として残した「朴正煕時代と嘘」に関する記録を、一般人が容易に読むことができるようにまとめたという意味もある。

 今回出たシリーズの最後の3巻は6月抗争を扱う。第18巻『6月抗争の背景:改憲闘争と全斗換(チョン・ドゥファン)の反撃』、第19巻『6月抗争の展開:現代史を変えた最大同時多発デモ』、第20巻『高慢な民主化の波:全斗換・盧泰愚(ノ・テウ)の降伏宣言、その後』などだ。問答形式で書かれており気軽にすらすら読ませるのが長所だ。写真と新聞記事などを豊かに添え、事実の海で漂流しないように文脈を整えてくれる。

 「近現代史に対する私たちの社会の関心と熱気が目に見えて減りました。まさにその時に親日派の見解で歴史を歪曲するニューライトが登場して、大手を振って歩き始めたのです。私は歴史戦争が嫌いですが、一方では宿命と思います。韓国現代史ほど民主主義がいかに大切なのかを悟らせてくれる師匠はいません。そんな点でこの本は民主主義の教科書だと思います」

イ・ジェソン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/923022.html韓国語原文入力:2020-01-03 19:16
訳M.S

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