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勤労挺身隊被害女性に「はじめての春」与えた支援条例

登録:2017-01-10 00:05 修正:2017-01-10 14:15
光州市、2012年7月から勤労挺身隊支援条例を初実施 
ソウル市と全羅南道など計6つの地方自治体が毎月生活費を支援 
「国がすべきことを自治体の条例で隙間を埋めている」
2012年3月光州市議会本会議で全国で初めて勤労挺身隊被害者に対する支援条例が制定され、ヤン・クムドクさんと市民が条例案を代表発議したキム・ソンホ議員とソ・ジョンソン、カン・ウンミ議員に感謝のバラの花を渡し写真を撮った=勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会//ハンギョレ新聞社

 キム・ジョンジュさん(85・ソウル市松坡(ソンパ)区)の結婚生活は順調ではなかった。日帝強制占領期に「朝鮮女子勤労挺身隊」として日本に行ってきたという理由のためだった。侵略戦争を行った日帝は人手が不足するとキム・ジョンジュさんのような10代の少女たちを勤労挺身隊として強制動員し、日本の軍需工場に連れて行き仕事をさせた。「勤労挺身隊」についた「挺身隊」という名称がキムさんにとって「緋文字」となった。日帝が日本軍慰安婦を動員する過程で使った用語が「挺身隊」だったからだ。

 キム・ジョンジュさんは一番上の子が3歳にもならない時に夫と別れて上京した。「私の話を信じてくれなかった。夫は『汚い女、汚い女』と言いました…」

 キムさんは全羅南道順天南小学校6年生だった1945年2月頃、株式会社不二越鋼材工業の工場に強制動員された。14歳の年齢で強制労働で酷使されたが、賃金を一銭も手にすることはできなかった。解放を迎えて故郷へ帰ったが、「挺身隊」出身という冷たい視線だけが注がれた。夫と別れた後、幼い息子を育てるために行商などをしながら生涯困窮して暮らした。事業に失敗した息子は、1歳をすぎた孫を預けて、今は連絡も途絶えた状態だ。生活保護受給者のキムさんはLH(韓国土地住宅公社)が提供した低所得層向け借家で孫(23)と暮らしている。「私の青春は日本に行ってきたということでなくなってしまったんだよ…」

 キムさんにとってソウル市の「対日抗争期の強制動員被害女性勤労者支援条例」はまさに心強い後援であり支えだ。ソウル市は2013年9月に条例を制定し、翌年1月から施行した。日帝強制占領期に14~15歳で日本の軍需工場に動員された女性勤労挺身隊出身の女性たちが条例の支援対象だ。ソウル市は彼女たちに月30万ウォンの生活補助金を支給し、診療費(本人負担金のうち月30万ウォン以内)も支援している。ソウル市のこの条例の恩恵を受ける対象は27人だ。キム・ジョンジュさんは「本当に感謝している。条例のおかげで病院にも通いながら暮らせるようになった。本当に大きな力になる」と話した。

 勤労挺身隊は挺身隊という名称のために社会の偏見に悩まされたが、肝心の政府や社会では他の日帝強制占領期の被害者とは異なり、大きな関心の対象にならなかった。「二重の被害」を受けたということだ。1944年から45年初めまで三菱重工業、不二越鋼材、東京麻糸紡績の3社に強制動員された「少女」だけで全国1600人に上る。「お金も稼げるし、女学校にも通うことができる」という言葉は嘘だった。彼女らは賃金を一銭も受け取ることができなかった。

 彼女たちに初めてあたたかい手を差し伸べたのは光州(クァンジュ)広域市だった。光州市は2012年3月「日帝強占期の女性勤労挺身隊被害者支援条例」を制定し、同年7月から施行した。国家が勤労挺身隊被害者たちに対して何の支援策も設けずに放置している間、地方自治体の条例がその隙間を埋めたのだ。勤労挺身隊の女性たちはこの条例の可決で、「はじめての春」を迎えた気分だった。現在光州では18人がこの条例の恩恵を受けている。

 光州で始まった勤労挺身隊支援条例は、他の地方自治体に拡散された。全羅南道(2014年1月、40人)やソウル市、京畿道(2014年10月、34人)、仁川(インチョン)市(2016年1月、7人)に続いて、全羅北道(22人)も来年1月から支援条例を施行する。ほとんどが毎月生活補助費30万ウォンと病院の診療費(毎月本人負担金の20万~30万ウォン限度)、死亡の際の葬祭費や弔慰金として100万ウォンの支給が主な内容だ。三菱重工業に連行された被害者が多い大田(テジョン)市、忠清南道は勤労挺身隊被害女性のための支援条例がまだない。

 ヤン・クムドクさん(86・光州市西区(ソグ)良洞(ヤンドン))は「この条例ができた後、胸の怒りが半分は消えた。大事な人として待遇してくれることが嬉しくてありがたい」と話した。「勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会」のイ・クッオン共同代表は「勤労挺身隊被害者のおばあさんたちは、ほとんどが経済的に貧しい方々で、生活費の支援が大きな助けになっている。しかしもっと大きな効果は、条例がおばあさんたちに『もう隠れていなくてもいい』という心理的安定感を与えるということ。他の地方自治体でも関心を持ってくれることを願う」と話した。

 勤労挺身隊被害者支援条例は、おばあさんたちが日本企業を相手に起こした損害賠償請求訴訟と謝罪要求の闘いにも大きな力になっている。「政府が無関心な状態で条例すらなかったら、日本企業も勤労挺身隊被害賠償訴訟を意識するわけがないでしょう」。イ共同代表は「自治体の支援条例が勤労挺身隊のおばあさんたちの問題を社会が認識しているという象徴的な意味になっている」と強調した。

 勤労挺身隊被害者らは、日本の法廷に出した損害賠償請求訴訟(1999.3~2008.11)で「1965年の日韓請求権協定ですべての請求権が消滅した」という理由のために敗訴した。しかし諦めずに現在は韓国国内の裁判所で勤労挺身隊と関連して6件の損害賠償請求訴訟を進めている。ヤン・クムドク氏など5人は三菱重工業を相手に訴訟を提起し、昨年6月光州高裁で勝訴して最高裁判所に係留中だ。パク・ヘオクさん(86・光州市南区(ナムグ)鳳仙洞(ボンソンドン))さんは「今も時々日本の工場に米軍の爆弾が落ちて寮から火の手が上がったときの夢を見る。布団の中でぶるぶる震えながら、両親と姉を思い出して泣き続けた」と言い、「今は体を一人では支えられないほどひどく患っている。私が死ぬ前に損害賠償請求訴訟が一日も早く決着をつけてほしい」と話した。

光州/チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2017-01-10 13:54

https://www.hani.co.kr/arti/society/area/778108.html 訳M.C(2461字)

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