サムスン電子サービスのナ・ドゥシク支部長
43才の時労働三権に目覚め禁忌に挑戦
無労組サムスン倒した主役に
故ヨム・ホソク分会長は
懐柔・脅迫に抗して亡くなる
支えになった堅固な「連帯」の手
教育・研究で後押ししたチョ・ドンムン教授
労組員の訴訟支援者チョ・ヒョンジュ弁護士
市民社会の連帯引き出したイ・ナムシン非正規労働センター所長
「サムスンの度量の大きな決断」
サムスン電子サービスが最近、社内下請け労働者8千人を直接雇用し、労働組合活動を保障すると約束した。サムスンの「無労組経営放棄」宣言などが出されると、一部のメディアはサムスンの変化を高く評価した。そのようなサムスンに劣らず注目されるべき人たちがいる。「無労組経営80年」というサムスンの内と外で絶えず労働組合を作り守ろうとした労働者と活動家たちだ。
まず金属労組サムスン電子サービス支部のナ・ドゥシク支部長だ。韓国非正規労働センターのイ・ナムシン所長は彼を「無労組サムスンを倒した主役」と呼ぶ。「サムスンという資本が恐ろしいのは、弾圧ばかりでなく懐柔することも知っているという事実だ。それを勝ち抜くのは想像するほど簡単ではない。 (ナ支部長は)そんな劣悪な状況で決して妥協しないで自主的に闘い、新しい闘争モデルを作った」。
ナ支部長が「労働組合」を知るようになったのは2012年のことだ。サムスン電子サービスの社内ネットワークを主導していた彼は、その年偶然、民主労総の『労働者権利実現ノート』を目にした。「43歳で初めて“労働三権”を学んだ。頭をがつんとやられた。なぜ私に誰も教えてくれなかったのか」。ナ支部長はその時初めてサムスンではタブーとされていた労働組合設立を夢見る。
彼は自分の属する社内ネットワークをベースに労働組合の組織化を始めた。毎日カバンに『労働者権利実現ノート』を200冊入れて持ち歩いた。「今まで知らなかったが、自分の権利を知った以上、このままではとうてい我慢できない、一緒にやってみよう、と説得した。サムスン電子サービスセンターにノートを持って訪ねて行けば、どこでも100%加入、完全に受け付けた」。どしゃぶりの雨だった2013年7月14日、サムスン電子サービス支部がスタートした。
サムスン電子サービス支部がスタートした後、サムスン側ではセンターの偽装廃業や差別的な仕事配分などの方法で支部を瓦解させようと努めた。2014年5月「支部の勝利を祈る」という遺書を残して自ら命を絶ったヨム・ホソク前梁山(ヤンサン)分会長も、「労組弾圧」を身をもって体験した人物だ。 ヨム前分会長と親しかった梁山分会代議員のヨム・テウォンさん(42)は「会社がささいなことで組合員に言いがかりをつけて狙い撃ち監査をし懲戒をして…弾圧がひどかった。そんな状況でも(修理技師はもちろん)内勤職や相談職の同僚たちとも親しくしていたホソクが分会長になったので、彼を信じて組合に加入する人も多かった」と語った。
ヨム前分会長の“遺体奪取”事件は、労組支部のスタートに一つの“分岐点”として作用した。ヨム前分会長の死の翌日から、サムスン電子サービス支部はソウル市瑞草区(ソチョグ)のサムスン本館の前で無期限路上座り込みを始めた。座り込み41日目の6月28日、協力企業等を相手に団体協約を勝ち取った。ヨム前分会長の死を自分の事のように感じて全国各地から上京した組合員1千人あまりが成し遂げた成果だった。以後、会社側がこれを履行しないため問題が起きたが、協約にはヨム前分会長の死亡と関連して遺憾の意の表明と再発防止努力などを会社側が発表するということと、廃業したセンター所属の組合員に対する雇用継承の約束などが盛り込まれた。
サムスンの外から労組の活動を支持し、サムスンの変化を求めてきた多くの人々の“連帯”も無視することはできない。20年あまりサムスン問題を研究してきたカトリック大学のチョ・ドンムン教授(社会学)は、サムスンの労組弾圧方法を指摘した『韓国社会、サムスンを問う』(2008)を出すなど、サムスンに対する批判の刃を研いできた。
チョ教授は労働組合を結成しようとするサムスン労働者と直接会って相談や教育も行なった。彼は毎回「今度は成功するのではないか」と期待を抱くが、大部分「残忍なサムスンの弾圧」の前に失敗した。期待と失望が繰り返された。さらに、サムスン労働者が労働組合を作ると言って何人か一緒に訪ねてきたが、その中から密告者が出て失敗に終わるといったことも体験した。チョ教授は「今はサムスンで労働組合をすると言って訪ねてくる人とは、秘密を守るために必ず一対一で会うようにしている」と話す。
支部を法律的に支援したチョ・ヒョンジュ公共運輸労組法律院弁護士(当時金属労組所属)もいる。 チョ弁護士は、サムスン電子サービス修理技師1334人が2014年にサムスン電子サービスを相手に起こした勤労者性確認訴訟を引き受けた。昨年1月、一審で敗訴判決を受けた後、彼女は記者会見で「闘いを止めない者が、問題提起をし続ける者が勝利する」と言って涙を流しもした。今回のサムスン電子サービスの労使合意を「一部勝利」と評した彼女は、再度今後の闘いを強調した。「これまでこの問題に目をつむってきた検察と雇用部の疑惑も明らかにしなければならない」ということだ。
さまざまな市民団体の連帯も見落とせない。サムスン電子サービス支部が展開した幾度もの闘争には、常に多くの市民団体と進歩政党が連帯した。座り込みの組合員のために食事を用意したり、街頭音楽公演など文化活動やデモ・パフォーマンスを繰り広げたりもした。このような連帯グループの組織化を先頭に立って行なったのが非正規労働センターのイ・ナムシン所長だ。イ所長は「間接雇用、サービス職、全国に広がった事業場など、労働組合闘争をするのに不利な条件ばかりそろったサムスン電子サービス支部にとって、市民社会の幅広い連帯と支持は最も重要な力だった」と話す。イ所長が中心となって立ち上げられた「サムスン電子サービスの不法雇用根絶および労働基準法遵守のための共同対策委員会」には、民主社会のための弁護士会(民弁)労働委員会、参与連帯、サムスンの労働人権を守る会など10あまりの団体が集まっている。