「出発点がこの名簿にあります」。「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」(名古屋訴訟支援会)の高橋信 共同代表(75)は9日、ハンギョレの記者に三菱重工業の内部書類のコピーを見せてくれた。
名古屋の高校で世界史を担当する教師だった彼は1987年、戦争関連の地域史を調査していたところ、三菱重工業から45枚の書類を渡してもらった。その書類には三菱重工業名古屋航空機製作所で働き、1944年12月の東南海地震で亡くなったチェ・ジョンネさん(当時14歳)など、朝鮮人少女6人の名前が書かれていた。彼は1988年7月末に初めて韓国を訪れ、名簿にある住所地を回り、数十日間も遺族を探した。今月8日、光州(クァンジュ)地方裁判所で勤労挺身隊強制徴用の被害に対する損害賠償訴訟で一部勝訴判決を言い渡されたチェさんの甥嫁のイ・ギョンジャさん(74)に初めて会ったのも、その時だった。
1987年「朝鮮人勤労挺身隊」を初めて確認
三菱重工業で犠牲になった6人の名簿を公開
名古屋旧工場の敷地に57人の追悼碑も
「5・18知らせたヒンツペーターのような活動」と評価
1100人以上の市民の会で20年間も訴訟を支援
「文在寅政権に『強制徴用』問題の解決を期待」
高橋代表は今月6日、日本の愛知県高校教師25人と光州(クァンジュ)の国立5・18民主墓地を参拝した。彼には1987年以降100回目の韓国訪問だった。彼は人々の記憶の中で埋もれそうになっていた日帝強制占領期(日本の植民地時代)の朝鮮人少女たちの無念の死を初めて明らかにした。1944~45年、13~15歳の朝鮮人少女たちは三菱重工業と不二越鋼材など、日本の軍需工場に動員され、賃金ももらえず働いた。全羅道(138人)と忠清道(150人)地域に被害者たちが多かった。「勤労挺身隊女性と共にする市民の会」のイ・サンガプ共同代表は(49・弁護士)は「映画『タクシー運転手』のドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーター(Jurgen Hinzpeter)が5・18を世界に初めて知らせた外国人なら、高橋代表は勤労挺身隊問題を初めて明らかにした外国人」だと話した。
「当時韓国では、勤労挺身隊被害者たちが『挺身隊』という言葉を言うことすら憚れるような状況でした」
高橋代表は、勤労挺身隊被害者たちが「挺身隊」だったことを明かすと「日本軍慰安婦」に誤解されるかもしれないといってなかなか証言をしなかったため、(説得に)苦労した。
彼の努力で1988年12月に名古屋旧工場の空き地に朝鮮人少女6人など大地震の犠牲者57人の名前が書かれた追悼碑が建てられた。当時、追悼式にはヤン・クムドクさん(89)など被害者と故チェ・ジョンネさんの姉など遺族らも出席した。「追悼碑を建てたことが日本全国に放送され、そのおかげで、三菱寮長の孫から連絡が来ました。その方が所蔵していた60枚の勤労挺身隊の写真をコピーをしました」。その写真は勤労挺身隊存在の重要な歴史的証拠となった。
名古屋訴訟支援会は1998年に弁護士や教授、教師など約1100人が参加して結成された。同会は勤労挺身隊被害者女性が1999年3月、日本政府と三菱重工業を相手に損害賠償請求訴訟を提起できるよう、積極的に支援した。訴訟は2008年、日本の最高裁判所で最終棄却された。
しかし、名古屋訴訟支援会は2007年9月から三菱系列会社の社長団会議が開かれる毎週金曜日、名古屋から東京の三菱本社に駆けつけて謝罪と損害賠償を要求する「金曜行動」を始め、これまで382回も続いている。光州でも2009年3月「勤労挺身隊女性と共にする市民の会」が結成され、韓日連帯闘争を繰り広げている。三菱系列会社の三菱マテリアル(元三菱鉱業)は2016年7月、12つの鉱山で強制労役した中国人労働者に1人当たり10万人民元(約1880万ウォン)ずつを支給することを決めた。しかし、三菱重工業は依然として韓国人強制徴用被害者の要求は無視している。
「文在寅(ムン・ジェイン)政権で強制連行問題が解決されることを大いに期待しています」
高橋代表は「広島の強制徴用被害者たちが2000年5月に三菱重工業に対して起した損害賠償請求訴訟の被害者側法律代理人が文在寅大統領だった」としながら、このように語った。2000年から国内裁判所に日本戦犯企業を相手に進めている損害賠償請求訴訟16件のうち4件が最高裁(大法院)で係累中だ。彼は2012年5月、最高裁判所で個人請求権を認めた点を挙げて「最高裁判所の確定判決が出れば、その結果をもとに三菱重工業と解決に向けた協議を続けられると思う」と話した。
「運命のようです。ヘーゲルが言ったように、すべての必然は偶然として表れます」
高橋代表は「神が勤労挺身隊問題を機に、娘と韓国人の婿を結び付けたようだ」と話した。彼の娘は、カナダに留学中韓国人の夫と出会い、結婚した。彼は「池に小石を投げると、波紋が広がるように、勤労挺身隊問題を韓日政府が合意することで、東北アジアの平和協議につながる契機になればと思う」と話した。彼は100回目の韓国訪問中に会った光州の勤労挺身隊の市民の会のメンバーたちの前で重要な決心を明かした。「私が死んだら火葬した後、遺骨の半分を光州無等山(ムドゥンサン)に撒いてほしいと言い残すつもりです。今回に日本に帰ったら、家族に伝えます」