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韓国・日本 市民連帯の力…‘過去史清算’沈黙 破った

原文入力:2010-06-23午後10:36:19(2016字)
東京では3年目の金曜集会
光州では毎日1人示威
"勤労挺身隊 賠償せよ"
三菱・日本政府に要求

チョン・デハ記者

←‘勤労挺身隊ハルモニとともにする市民の会’会員たちが23日午前、日本、東京、品川駅近隣の三菱重工業本社前で朝鮮女子勤労挺身隊被害者たちに賠償することを要求し三歩一拜をしている。

[現場] 市民の会・名古屋訴訟支援会、日本で三歩一拜

三歩歩いては一度 拝んだ。23日午前9時30分頃、日本、東京、品川駅前で‘朝鮮女子勤労挺身隊’損害賠償を要求する三歩一拜が始まった。イ・サンガプ‘民主社会のための弁護士会’(民主弁護士会)光州全南支部長とソ・ジョンソン光州市議当選者など‘勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会’(市民会)会員8人は 「三菱は謝罪せよ」というスローガンを叫び三菱重工業本社まで300m余りを拝みながら歩いた。

イ・ヨンソプ民主党議員とチャン・フィグク光州市教育長当選者、キム・ソンホ光州市教育委員当選者、天主教光州大教区正義平和委員長キム・ジェハク神父など10人余りは横断幕を持ち、勤労挺身隊被害ハルモニと遺族など4人の後に従った。‘名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会’(名古屋訴訟支援会)会員30人余りも韓-日連帯闘争に参加した。

"あきれ果てます。99円では日本でガム一つも買えないでしょう?" 勤労挺身隊被害者ヤン・クムドク(82・光州市)氏は 「その時に払わなかった私の月給をくれということ」と話した。彼女は1944年5月から翌年10月末まで、三菱重工業名古屋航空製作所で仕事をしたが賃金を一銭も受け取ることができなかった。全羅(138人)・忠清(150人)地域の13~15才の少女288人が被害者だ。6人の少女は44年12月の大地震(訳注:東南海地震)の時に命を失った。また、生存者たちも帰国後、挺身隊という名称のために‘日本軍慰安婦’と誤解され婚談がこわれたり離婚するなどの痛みを体験した。ヤン氏など被害者8人が1999年3月、日本政府と三菱重工業を相手に損害賠償請求訴訟を起こしたが、2008年11月 日本最高裁判所はこれを棄却した。1965年の‘韓-日協定締結ですべての請求権が消滅した’ということが理由だった。

日本政府は裁判が終わった後に訴訟団が申請した7人の厚生年金納入記録を出した。12年ぶりだった。だが、この資料は強制労働を否定した三菱重工業の嘘を立証できる証拠となった。日本政府はこれら7人が提起した厚生年金脱退手当て金返還申請訴訟で99円(1250ウォン)ずつ支給することを決めた。ジャージャー麺一杯の価格にもならない金額だ。市民会 イ・クゴン事務局長は「11ヶ月未満の厚生年金加入者に適用される15日分日当支給基準により脱退手当てを99円と策定した」とし「99円を現在の金額に換算することと厚生年金の存在を分からないと嘘をついたことに対する被害補償を要求し審査請求をしたが黙殺無返答」と話した。

市民会と名古屋訴訟支援会はこの日、三菱重工業を訪問し韓国市民13万4162人が署名した用紙4箱を伝えた。イ・ヨンソプ議員も韓国与野党国会議員100人の署名用紙を渡した。日本裁判所は損害賠償棄却を決めながら、三菱重工業が自主的救済努力をしてくれと注文したが、三菱はこれを無視してきた。(株)西松建設が昨年10月に中国人強制連行労務被害者らと基金信託方式で歴史的和解をしたのとは全く異なる態度だ。三菱重工業は‘7月15日までに この問題を解決する協議体を構成しよう’という提案に対しても「検討する」とだけ答えた。2団体はこの日午後、石毛えい子‘戦後補償を考える民主党議員連盟’事務局長に会い協力を頼み、日本内閣府にも市民・国会議員署名用紙を伝達した。

1988年名古屋勤労挺身隊問題を初めて知って以来、20年余りの間 真相究明に立ち上がった高橋信(67)会長は「日本政府が朝鮮人強制連行犠牲者補償法を制定しなければならない」と話した。日本の‘良心的’市民1100人余りが参加した名古屋訴訟支援会は2007年7月から毎週金曜日、東京三菱重工業前で141回目の金曜行動を継続している。市民会も昨年10月から毎日 三菱自動車光州展示場前で1人示威を行っている。キム・ヒヨン市民会代表は「1910年‘庚戌国恥’100年になる今年、韓国・日本2つの地域の市民団体が過去史清算のため‘平和の道’(ピース ロード)を作っている」と話した。

東京/文・写真 チョン・デハ記者 daeha@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/427203.html 訳J.S