ヤン・クムドク(85)ハルモニ(おばあさん)は1日午後、光州地方裁判所2階法廷で裁判長の判決を聞いてもなお信じられないように周囲を見回した。 誰かがハルモニに 「勝った」と耳打ちした。
光州地方裁判所第12民事部(裁判長イ・ジョングァン)はこの日、日帝強制占領期間に朝鮮女子勤労挺身隊に連れていかれ日本の兵器工場などで辛い仕事をさせられたが賃金は一銭も受け取れなかったヤン ハルモニなど原告5人(被害者6人)が三菱重工業を相手に出した損害賠償請求訴訟で原告一部勝訴判決を下した。 三菱重工業は被害当事者4人に1億5000万ウォンずつ、既に死亡した夫人と妹の遺族1人に8000万ウォンなど計6億8000万ウォンの慰謝料を賠償するよう命じた。
この日の判決は昨年5月24日‘日帝強制徴用被害者の個人請求権は生きている’という最高判決が下された後、日本企業を相手に提起した損害賠償訴訟で被害者が勝訴した3回目の事例だ。 去る7月ソウル高裁(新日鉄住金を相手に賠償額1人当り1億ウォン)と釜山(プサン)高裁(三菱重工業を相手に賠償額1人当り8000万ウォン)など全て損害賠償をせよとの判決が下された経緯がある。
ヤン ハルモニは「ようやく気持ちのつかえが取れたようだ」と話した。 1944年5月、14才で "勉強させてあげる" という言葉にだまされて勤労挺身隊に動員され、名古屋三菱重工業航空機製作所で仕事をした彼女は、解放後45年10月に賃金も受け取れずに手ぶらで故郷の全南(チョンナム)羅州(ナジュ)に戻った。 勤労挺身隊を日本軍慰安婦と勘違いした隣人たちが後ろ指をさす中で、夫にも誤解され結婚生活が順調でなかった。
今回の勝訴は韓国・日本両国の市民が歴史を正す運動に参加して勝ち取った成果ということに大きな意味がある。 ヤン ハルモニはこの日‘名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会’(名古屋支援会)高橋信(72)共同代表の手を握り法廷の階段を降りてきた。 名古屋支援会の会員日本人10人が裁判を共に見守った。 ヤン ハルモニは 「この方々に感謝します」と話した。
高校の歴史教師として在職した高橋共同代表は86年に日帝強制占領期間強制労働被害にあった朝鮮の少女(288人)がいたという事実を知り、教授・弁護士などが参加する名古屋支援会を設けた。 名古屋支援会はやっとの思いでうわさをたよりに捜したヤン ハルモニなど8人を原告とし、1999年3月に名古屋地方裁判所に日本政府と三菱重工業を相手に損害賠償請求訴訟を提起した。 日本の最高裁判所は2008年11月‘65年の韓-日協定締結ですべての個人請求権が消滅した’という理由で請求を棄却した。
光州では日本の最高裁判所で敗訴した直後に市民が参加する‘勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会’が結成された。 市民の会は2010年6月23日、東京三菱重工業本社前を訪ね市民13万5000人余りが署名した用紙を持って三歩一拜デモを行い、昨年10月には光州地方裁判所に損害賠償請求訴訟を提起した。 イ・クゴン市民の会事務局長は「孤独な時間だった。 だが、小さな水滴(市民)が集まって、岩(戦犯企業)を突き抜けた」として「三菱は90歳を目前にした被害者を考えるならば、謙虚に判決を受け入れなさい」と話した。
光州/チョン・デハ記者 daeha@hani.co.kr