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正義とは何か…哲学が必要な世界【寄稿】

登録:2025-12-01 07:04 修正:2025-12-01 09:13
スラヴォイ・ジジェク|リュブリャナ大学(スロベニア)、慶煕大学ES教授
ジャック=ルイ・ダヴィッド『ソクラテスの死』1787年、キャンバスに油彩、129.5×196.2cm、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)//ハンギョレ新聞社

 11月20日は世界哲学の日だった。この機会を借りて、哲学とは何かについて改めて考えてみようと思う。

 ソクラテス以後の哲学の機能は、われわれを支配的なイデオロギー秩序から遠ざけようとするところにある。このような哲学の役割は、自由主義的な寛容が支配するこんにちの世界では、一段と重要性を増している。この世界では、支配体制の統制を受けているにもかかわらず、自分は自由だと錯覚してしまうからだ。ゲーテがかつて述べたように、「自分を自由だと勘違いする奴隷ほど絶望的な奴隷はいない」

 ソクラテスは、ギリシャ社会が空虚な言語遊びにふけるソフィストによって崩壊した時代に登場した。ソクラテスは彼らに対して、繰り返し問いを投げかけるという急進的な手法で対応した。「徳とは何を意味するのか」「真理の定義は何か」「善とは正確には何を意味するのか」といった、すでによく理解していると考えられていた概念について問い続けたのだ。

 現代のわれわれにもこのような産婆術が必要だ。平等、自由、人権、民衆、連帯、解放を含む、われわれが自身の決定を正当化するために用いる概念が正確に何を意味するのか、改めて考えてみなければならない。たとえば、真に思考するというのは、生態系が危機に直面したとき自然をどのようにして救うかだけでなく、こんにちの自然という概念が何を意味しているのかを同時に問うことだ。または、人工知能(AI)が台頭する時代に「機械は思考できるのか」といった程度のことを問うのではなく、「人間の思考とは何か」を問うことだ。

 ソクラテスの問答法は、孔子の「正名」思想とは違う方向にある。孔子は「名正しからざれば、則ち言順ならず。言順ならざれば、則ち事成らず。事成らざれば、則ち礼楽興(おこ)らず。礼楽興らざれば、則ち刑罰中(あた)らず。刑罰中らざれば、則ち民手足を措く所無し」(名目が正しくなければ言葉の筋が通らなくなり、言葉の筋が通らなければすべてのことが成り立たず、すべてのことが成り立たなければ礼と楽が振興せず、礼と楽が振興しなければ正義が通用せず、正義が通用しなければ民は不安に駆られる)として、言葉とそれに適した役割を一致させる必要があると主張した。ソクラテスの伝統はこれとは逆だ。ソクラテスにとっての真の思考とは、言葉のなかで考えつつ、言葉に逆らって考え、その過程を通じて、われわれの言葉自体に刻まれ隠されたイデオロギーを明らかにして、破壊することだ。

 現在でもソフィストは存在する。ドナルド・トランプのようなポピュリスト指導者は、プラトンの『国家』の最初のページに出てくる、耳をふさぎ力だけで決めようとする者と同様に、無力な相手の声など最初から聞く気はなく、思考を拒否する。イスラエルを支持する者たちは、イスラエルの集団虐殺に対する批判を反ユダヤ主義だとして無視する。気候危機を否定する者たちも同様に、地球温暖化に対する具体的な根拠を聞くことなく、気候変動への対応を陰謀論だと決めつける。

 中国も同じだ。7月、中国の王毅外相は欧州連合(EU)の外務・安全保障政策の上級代表に対し、中国はロシアがウクライナ戦争で敗北することを望まないとする趣旨の発言をした。ロシアが敗北した場合、米国の焦点が中国に移る可能性があるためだという。このように中国は、平和が中国の経済的利害に打撃を与えないよう、ひとつの国全体を破壊している戦争の継続を望んでいることを露骨に示した。

 この残酷な考え方は、ソクラテスとの論争でソフィストのトラシュマコスが提示した「正義とは強者の利益」という概念に基づく。このような状況における明白な結論は、いまこそ哲学がいつになく必要だということだ。われわれが人間として生存するためには、哲学が切実に求められる。ナイーブに聞こえるかもしれないが、われわれは正義の概念を生存という実用的な考慮を超える方向へ再確立してこそ、今後も生存が可能になる。いまこそ、正義が何を意味しうるのかについて、深い省察が必要だ。

//ハンギョレ新聞社

スラヴォイ・ジジェク|リュブリャナ大学(スロベニア)、慶煕大学ES教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1232025.html韓国語原文入力:2025-11-30 18:50
訳M.S

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