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[このひと] “日帝被害者 賠償運動 戦争との戦いでしょう”

原文入力:2010-06-25午後07:04:28(1270字)
勤労挺身隊 名古屋訴訟 支援する会の会員たち

チョン・デハ記者

←勤労挺身隊訴訟を支援する会 高橋 信会長(左から),永田 佳、山川修平、原田義雄

日本政府・三菱に対抗し闘争
本で歌で‘真実を知らせる’
24日午前、日本、東京、品川駅近隣あるホテルで開かれる三菱株主総会場へ行く町角に日本政府と三菱重工業を糾弾する横断幕が掲げられた。その前で1944年5月から翌年10月まで、三菱名古屋軍需工場で強制労働をした朝鮮女性勤労挺身隊ハルモニたちの被害補償を要求する韓-日市民団体会員たちが市民に広報物を配り始めた。

勤労挺身隊訴訟を支援する会 高橋信(67)会長は市民の無関心そうな視線も意に介さず日本政府と三菱重工業の謝罪と損害補償を要求した。

88年名古屋で高校の歴史教師として在職している間に勤労挺身隊問題を初めて知った彼は、44年12月の地震時に犠牲となった三菱勤労挺身隊韓国人少女6人を うわさをたよりに捜し出し慰霊碑を建設した。教授・弁護士・市民など1100人余りが参加する訴訟を支援する会の会長を受け持っている彼は、2007年7月から毎週金曜日に東京の三菱重工業本社前で謝罪と補償を要求する‘金曜行動’を行っている。

永田 佳(55・自由寄稿家)はこの日、2008年から金曜行動に参加した所感を書いた‘フライデー・レポート’を自ら製作し市民に配った。このレポートには三菱糾弾運動に対し賛否が分かれる日本市民の反応が生き生きと含まれている。‘金曜行動の時、2人の男性が横断幕前に立ち止まって資料を読み5000円紙幣と名刺をくれ励まして去った。苦しい時もあるが、今日のように激励を受ければ力が湧く。’(2009年3月26日)

山川修平(75)もこの日、株主たちに広報物を一枚でも多く配ろうと腰を曲げて挨拶をしていた。彼は昨年名古屋三菱勤労挺身隊の経緯と裁判過程などを扱った<人間の壁>という本を出し話題を集めもした。心臓病を病んでいるものの、今までただの一度も金曜デモを欠かさなかった彼は、日本政府と三菱重工業宛に書いた遺書を、常に懐に入れて通う。彼は「戦争を憎み反対する。政府と三菱を相手に闘争するのは戦争と戦うこと」と話した。

視覚障害者である民衆歌手 原田義雄(59)もこの日、ギターを弾き韓国の代表的民衆歌謡‘朝露’を歌った。彼は勤労挺身隊のいきさつを知ることになった光州,新光中学生たちが名古屋訴訟支援会に送った67通の手紙を読んで作った‘ファイティング、力を出して’という歌も歌った。この歌には‘一滴の水が集まり岩を突き抜けるように挫けず勇気を出そう’という意味が含まれている。

東京/文・写真 チョン・デハ記者 daeha@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/427525.html 訳J.S