光州(クァンジュ)錦南路(クムナムノ)の全日ビルディングで銃弾痕130個あまりが発見され、80年5・18抗争の際にヘリコプターが無差別に銃を撃ったという主張の証拠になるかが注目される。
15日、5・18記念財団などの話を総合すれば、国立科学捜査研究院は13~14日に全日ビルディング10階内部で銃弾痕130個あまりを肉眼で確認した。銃弾痕は1980年5月当時、全日放送局があった10階内部の柱から50個あまり、天井から30個あまり、床から50個あまり、合計130個あまりが見つかった。国立科学捜査研究院は銃弾痕の方向や角度などを考慮すれば、上空のヘリコプターから弾丸が発射されたものと推定した。
国立科学捜査研究院は今後、精密鑑識を通じて全日ビルディングの弾痕が80年5月のヘリコプター機銃掃射との関連有無などを明らかにする方針だ。5・18研究所のチョン・スマン非常任研究員(元5・18遺族会長)は「当時、錦南路周辺には全日ビル以上に高い建物がなかったため、ヘリコプターから発射した銃弾痕である可能性が高い」と話した。
全日ビルで発見された弾痕が、国立科学捜査研究院の精密分析を経てヘリコプターからの射撃であることが確定されれば、80年5月にヘリコプター射撃があったという重要な証拠になる。光州市民の主張は具体的だ。1994年に発刊された『司祭の証言:真実を言っても信じない世の中』によれば、故チョ・ビオ神父は1989年2月の国会光州特別委聴聞会で「5月21日午後1時30分から2時の間に旧全羅南道道庁側から社稷(サジク)公園側に向けてヘリコプターが飛んで行き、閃光と共に連続3度にわたり大地を揺るがすような機関銃の音が聞こえた」と証言した。
シン・ドンソン氏(1950年生)は、1980年5月21日、全日ビルからわずか300メートル程度離れた大義洞(テウイドン)の真珠喫茶店建物(3階)屋上にいたところ、頭に銃弾を受けて亡くなった。近隣の表具店の主人C氏(1929年生)は「ヘリコプターから銃が撃たれた。自宅の瓦がこわれた。ヘリコプターからの銃に撃たれて人が死んだといって真珠喫茶店の建物に上がったところ、シン氏が倒れていた」と証言した。
K氏(1952年生・当時第3海域司軍医官)も、1995年6月11日ソウル地検に参考人として出向き、「1980年5月21日午後、南区楊林洞(ヤンニムドン)でアーノルド・ピーターソン牧師と一緒にいたところ、ヘリコプターから“ダダダダ”という射撃音を3回ほど聴き、閃光が見えた。その時が釈迦誕生日だった」と述べた。
だが、軍当局は光州市民が当時戒厳軍がヘリコプターから射撃したのを目撃したという証言に対して、直接証拠がないという理由でこれを一蹴しており、検察の捜査でも真相を明らかにすることはできなかった。
ファン・ヨンシ元陸軍参謀次長は1996年5月6日「12・12軍事クーデターおよび5・18事件」の7回目の公判で「被告人は20日から26日の間にキム・ギソク将軍(陸軍戦闘教育司令部副指令官)に電話をして『戦車と武装ヘリを動員し、強硬に忠情作戰作戦を行え』と叱責性の指示をしたが、キム将軍が断ったというのは事実か」と尋ねられると、「原則上ありえないことです。戦車、ヘリコプターは投入されもしませんでした」と否認した。