「全斗煥(チョン・ドゥファン)が百年も千年も生きられるわけないだろう?後に凶悪な殺人者を必ず断罪しなければならない。そのためには、小さな根拠でも集めておくべきだと思った」
光州(クァンジュ)市民のミン・ヨンニャン氏(73、同市北区臣龍洞)は16日、1980年5・18民主化運動当時、見て、聞いて、感じたことを激情的に書いていた心境をこう振り返った。ミン氏は当時、全羅南道庁から約500 メートル離れた東(トン)区東明(トンミョン)洞の農場橋のすぐ近くに住んでいた。当時38歳だった彼は3人の娘を持つ平凡な父親だった。彼は錦南路(クムナムノ)、忠壯路(チュンジャンノ)、鶏林(キェリム)洞などを回って“5月の光州”をまざまざと目撃した。
「それまで日記を付けたことはなかった。当時空輸部隊の残酷な姿を見てすごくショックを受けた。だから書かざるを得なかった」
陸軍大尉として除隊した彼は銃の威力をよく分かっていた。ミン氏は80年5月18日から27日までの10日間、緊迫した光州の状況を四六16切り約30枚にボールペンで記録した。彼の日記には、空輸部隊の無差別な暴力に対する怒りや空輸部隊の狙い撃ちによって倒れる市民に対する悲しみなどが込められている。日付ごとに軍と市民の攻防戦の様子と犠牲者数も詳しく書き留めた。戒厳軍の宣撫ビラや光州市長の呼びかけ文、市民軍の闘士会報などの資料約10点も添付した。
彼はこの日記を20年前、長女のミョンオク氏(45)に預けた。最近、ミョンオク氏は黄ばんでしまった「父の日記帳」を世に出すことにした。彼は娘の意向を聞いて、初めは「研究したわけでもなく、後代に残すために書いたものでもないのに...」と首を振っていたが、やがて同意した。ミン氏親子は、この記録をどこに寄贈するかを検討している。
この日記を読んだイ・サンミン韓国国家記録研究院研究委員は、「普通の人の考えや感情をそのまま描いた原本であり、35年間、毀損されることなく保存されており、記録として十分価値がある」と評価した。
ユネスコ記録文化遺産に登録された5・18民主化運動資料8万1400件のうち、市民の日記は4件に過ぎない。今月13日にオープンした5・18アーカイブ(記録館)には、当時、光州郵便局の通信課長だったチョ・ハンユ氏、市民チュ・イテク氏などの日記帳がある。 5・18アーカイブ推進団長を務めたホン・セヒョン氏は「当初軍隊、行政、マスコミなどの公式資料を重視したが、ユネスコへの登録過程で市民が直接書いた資料がより価値があることを後になって知った。このような日記や写真を多数集めると、現場と事件、時代を完全に復元できる」と述べた。
韓国語原文入力: 2015-05-17 20:41