本文に移動

全斗煥元大統領、「光州発砲」決めた新軍部会議に出席していた

登録:2016-05-18 23:47 修正:2016-05-19 06:54
保安司令部内部資料『第5共和国前史』を入手
全斗煥元大統領が1980年5月、戒厳軍の集団発砲に関与したことを示す『第5共和国前史』の記述=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

戒厳軍の自衛権発動決定に関与 
 崔圭夏元大統領は翌日の夜に知った 
1982年3部のみ発行された未公開資料

 1980年の5・18光州(クァンジュ)民主化運動当時、戒厳軍の集団発砲の直前に、全斗煥(チョンドゥファン)元大統領が市民への銃使用を可能にした軍の自衛権発動の決定に関与したことを示す、全斗煥政権時代に保安司令部(現在の機務司令部)が作成した内部資料が見つかった。最近、全元大統領があるメディアとのインタビューで、「光州と私とは何の関係もない」と語り、戒厳軍の発砲は自分とは無関係であると主張した内容を根底から覆すものだ。

 18日、ハンギョレが入手した『第5共和国前史』(前史)によると、1980年5月21日午前10時50分、国防部でイ・ヒソン戒厳司令官がチュ・ヨンボク国防部長官に光州に出動した軍人たちの自衛権発動を建議する際に、全斗煥・合同捜査部長兼保安司令官(当時)も同席していたと記されている。1979年から1981年4月まで、第5共和国発足前後の政治・社会の懸案を取り上げた『第5共和国前史』は、1982年5月当時、新軍部の実力者だったパク・ジュンビョン保安司令官が6冊の本と3冊の付録にまとめたものだ。この本は3部のみ発行され、大統領府と保安司にあることが知られているだけで、内容は公開されたことがない。

 前史における5・18民主化運動関連の内容によると、「(1980年5月)21日2軍司(令部)では司令官のジン・ジョンチェ将軍と作戦参謀のキム・ジュンボン将軍が、ヘリで陸軍本部に来て参謀総長と面会し、このような現地の困難な状況を説明すると共に、自衛権の発動を建議した」とされている。また「嫌疑を聞いた参謀総長イ・ヒソン将軍は『非常に重要な問題』として、『長官に直接報告しよう』と提案し、3人の将軍は国防部長官室に行った。国防長官室には、長官をはじめ合同参謀議長のリュ・ビョンヒョン将軍や合同捜査本部長兼保安司令官の全斗煥将軍、首都警備司令官の盧泰愚(ノテウ)将軍、陸軍士官学校校長のチャ・ギュホン将軍、特殊戦司令官のチョン・ホヨン将軍などが待っていた」と記述されている。

 自衛権発動を決定した国防部会議から約2時間後の5月21日午後1時、光州錦南路(クムナムノ)で始まった市民に対する戒厳軍の集団発砲は、午後4時まで続き、1日間だけでキム・ワンボン君(15・当時中学3年生)など34人が命を失った。

 戒厳軍の集団発砲について当時の崔圭夏(チェ・ギュハ)大統領は何も知らなかったものと見られる。チョン・ソクファン元中央情報部全羅南道支部長職務代理は、1995年12月27日に行われたソウル中央地検の調査で「(集団発砲翌日の)1980年5月22日の夜10時頃、崔圭夏大統領が電話で『射撃する軍部隊と指揮官を確認できるか』と尋ねた」と話した。チョン・ソクファン職務代理は「崔大統領が軍の指揮系統でもない情報部支部長に直接電話をかけて尋ねたのは、当時戒厳司令部からいかなる状況報告も受けていない状態だったためと思われる」と陳述した。しかし、全斗煥元大統領は最近のインタビューで、「保安司令官が中央情報部長を差し置いたり、大統領府を差し置いたりするのは、絶対あり得ない」と主張した。

光州/チョン・デハ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

韓国語原文入力: 2016-05-18 19:17

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/744427.html?_fr=mt1 訳H.J

関連記事