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全斗煥、光州事件の発砲翌日に空挺部隊長に激励金

登録:2016-05-24 06:31 修正:2016-05-24 07:23
1995年の「第5共和国裁判」記録
1980年5月の光州事件//ハンギョレ新聞社

「勇気失わずに頑張るよう」
中央情報部長代理名義で
当時チョン・ソクファン全南支部長を通じ
空挺旅団長に100万ウォン伝達

 1980年の5・18民主化運動当時、保安司令官兼中央情報部長代理だった全斗煥(チョンドゥファン)元大統領が、光州(クァンジュ)錦南路(クムナムノ)での集団発砲で市民数十人を射殺した空挺部隊の指揮官に対し、発砲の翌日「勇気を失わずに頑張るように」と激励金100万ウォンを与えたことが明らかになった。全斗煥元大統領は5月19日、在京の全羅南道出身の有力人士8人を光州に向かわせた後、それぞれ50万ウォンずつ計400万ウォンの入った封筒を準備し、戒厳軍に対する友好的な世論形成にも乗り出した。

 これは80年5月当時、全元大統領が軍と民間領域を掌握した状態で5・18関連状況を統制・管理していたことを示すものだ。最近あるメディアとのインタビューで「保安司令官は情報・捜査責任者です」として「光州と私は何の関係もありません」と述べた彼の主張が嘘であることを示す部分だ。

 全斗煥・盧泰愚(ノテウ)元大統領の裁判記録によれば、全斗煥保安司令官兼中央情報部長代理は80年5月21日の戒厳軍集団発砲の翌日、当該空挺部隊長に激励金を伝達した。 チョン・ソクファン元中央情報部全南支部長職務代理は1995年12月の検察の取調べの際、「全斗煥中央情報部長代理に80年5月22日、光州に投入された特戦司令部11空挺旅団長のチェ・ウンに激励金100万ウォンを伝達するよう言われた」と述べた。

 11空挺旅団は80年5月21日午後1時から光州市錦南路の旧全南道庁前で市民に無差別発砲をし、34人の市民が死亡した。チョン元支部長は「その日(5月22日)、 (電話で) 全斗煥部長代理が、 11旅団長のチェ・ウン将軍の士気が極度に低下しているだろうから『勇気を失わずに頑張るように』と伝えてくれ。中央情報部長名義で激励金100万ウォンを渡してくれと言った」と検察で陳述した。通話の1時間後に、チョン元支部長は支部長室でチェ将軍と会い「中央情報部長代理全斗煥」の名義で100万ウォンを伝達したと述べた。チョン元支部長はチェ・ウン将軍に全斗煥部長代理と直接通話できるようにつないでやり、チェ将軍が「ご心配おかけして申し訳ない」と言うのを聞いたと伝えた。

 全斗煥元大統領が5・18民主化運動初期に光州に対する「民心順化のための宣撫活動」を直接指揮したという陳述も出てきた。チョン元支部長は 80年5月19日午後5時頃、全斗煥部長代理と通話した事実があると検察で述べた。彼は「当時全斗煥元部長が『光州の様子が尋常でないようだから、特別に民心順化活動が必要と思われる。在京の全羅南道出身有力人士8人がヘリで今日の夕方7時に光州飛行場に到着する予定だ。急に行かせたので旅費もやれなかったから、支部の予算から活動費をこの8人に支給するように』と言ってきた」と述べた。

 チョン元支部長は「その晩10時頃、全南道庁の道知事室に行って説得対象者の名簿を彼らに配り、それぞれ現金50万ウォン入りの封筒を全斗煥中央情報部長名義で渡した」と陳述した。

光州/チョン・デハ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-05-19 19:12

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/744659.htmlhttps://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/744583.html  訳A.K

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