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[記者手帳]統合進歩党のレッテルで障害者人権活動家に背を向ける与野党

登録:2015-09-10 00:44 修正:2015-09-10 07:10
パク・ヨンヒ全国障害者差別撤廃連帯共同代表 //ハンギョレ新聞社

 1995年、「からだが不自由な女の子は家にでもいればいいのに、どうして出歩くのか」という声を聞かされながらも、彼女は車椅子に乗って外に出始めた。“障害女性”は“少数者の中の少数者”だった。1997年「国際障害女性リーダーシップフォーラム」韓国代表団長を務めた後、1998年に彼女は障害女性人権団体「共感」を設立し、障害女性の人権運動に飛び込んだ。 精神遅滞障害女性に対する性的暴行事件を争点化し、障害女性性暴行相談所を作った。 2002年に障害者移動権連帯会議の共同代表を務め、電動車椅子に乗ってソウル鍾路(チョンノ)区の恵化(ヘファ)洞ロータリーと光化門(クァンファムン)とを行き来して、「障害者もバスや地下鉄に乗ろう」と叫んだ。 最近も彼女は障害児童教育、障害者差別問題に集中してきた。それがパク・ヨンヒ全国障害者差別撤廃連帯共同代表(54)だ。

 彼女を国家人権委員会非常任人権委員に推薦する案件は8日、国会本会議で在席議員260人中で賛成99票、反対147票、棄権14票で否決された。統合進歩党比例代表候補者だったという“レッテル”のためだった。 パク代表を推薦した新政治民主連合でさえ賛成票を投じなかった議員が少なくとも22人はいたと推定される。

イ・スンジュン記者 //ハンギョレ新聞社

 周辺で彼女を見てきた人々は、誰も彼女のアイデンティティを“統合進歩党”とは見ていない。 単に「少数者の声を上げてほしい」という要請で、2008年に民主労働党に入党したことが罪だと言うなら罪だというのが市民社会の評価だ。 民主労働党が統合進歩党に変わり、2012年の総選挙で彼女は比例代表順位17番を受けたが「不正選挙」論議が起こるとすぐに自主辞退し離党までした。 それでも国会は彼女の20余年間の活動を見ずに“統合進歩党出身”という過去のレッテルだけを見た。 彼女を人権委員に推薦した新政治民主連合も先月の議員総会でパク代表に“非適格者”という烙印を捺したことがある。パク代表はハンギョレとの通話で「政治とか政派とか、派閥のようなものはよく分からない。ただ今回のことで少数者の声が埋められる悪い先例になるかと思い心配で残念なだけだ」とため息をついた。

イ・スンジュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/708188.html 韓国語原文入力:2015-09-09 21:59
訳J.S(1117字)

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