現在の韓日関係の改善を阻む最も大きな外交懸案は慰安婦問題だ。韓国政府は慰安婦問題を1951年から1965年6月まで続いた韓日会談で扱われなかった最大の「未解決問題」と認識している。
しかし韓日会談の過程で慰安婦問題が全く議論されなかったわけではない。日本の市民団体「日韓会談文書・全面公開を求める会」が公開した資料によると、韓国側の張基栄(チャン・ギヨン)会談代表(後に副総理)は第2回会談が進行中だった1953年5月19日、「韓国女性で戦時中に日本海軍が管理していたシンガポールなど南方に慰安婦として行き、お金と財産を残して帰国した人たちがいる。軍が発行した領収書を見せ『何かしてほしい』と訴えるので社会政策的に領収書を担保にお金を貸したことがある」(日韓交渉報告書・請求権関係部会、1953年5月11日~6月18日)と話す内容が登場する。時代的な限界だが、当時の韓国政府は慰安婦問題を「戦時下女性に対する取り返しのきかない重大な犯罪」という人権の観点では認識していなかった。
1991年に金学順氏の証言で争点化
日本の裁判所の損害補償訴訟で敗訴判決
“道義的責任”で民間次元での基金助成
韓国・台湾の被害者が受領拒否
憲法裁は政府に解決努力圧迫
李・朴政権の強硬策に効果なく
慰安婦問題が韓日関係を揺さぶる重要な争点に発展したのは、張代表の発言から38年が過ぎた後だった。韓国社会が民主化を遂げてから4年後の1991年8月、被害者のお婆さん金学順(キム・ハクスン)氏(1924~1997年)が自ら日本軍慰安婦だったことを明らかにする歴史的な証言をしたのが契機だ。
その後、韓日の市民は慰安婦問題解決のため日本の裁判所を相手に3件(全10件)の法廷闘争を始める。しかし、日本の裁判所は韓日協定によって韓国の請求権が「完全かつ最終的に解決された」としてすべて敗訴判決を下した。一方、日本政府は1995年に国民募金を通じて「アジア女性基金」を作り、慰安婦被害者に贖罪金(200万円)と医療支援金(300万円)を支給するなど“道義的責任”で終えようとする。しかし韓国と台湾の被害者は国家の“法的責任”を要求し基金受領を拒否した。
日本の裁判所で相次いで敗訴判決が下されても、韓日市民は挫折しなかった。彼らは2002年10月、韓国の裁判所で韓日協定外交文書の公開を要求する訴訟を提起し勝訴判決を勝ち取る。その後、韓国政府は2005年8月の民官合同委員会を通じ「韓日協定で慰安婦問題は解決されなかった」と既存の立場を修正するほかなくなった。さらに2011年8月に憲法裁判所は「韓国政府が慰安婦問題解決のため外交的努力をしないのは違憲」とする決定も出す。
憲法裁決定を受け李明博(イ・ミョンバク)大統領は、違憲状態を解消するため同年11月に京都で開催された韓日首脳会談で、野田佳彦首相に慰安婦問題解決を強く求める。しかし会談は成果なく終わり、両国関係に大きな影を落とした。その余波が続く中、2013年2月に就任した朴槿恵(パク・クネ)大統領は、慰安婦問題に対する日本の誠意ある措置を要求し、就任2年が過ぎても安倍晋三首相と首脳会談をしないままでいる。
韓国語原文入力:2015-06-02 21:32