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「結婚して子供も産みたかった」…最後まで日本軍を恨み続けた慰安婦被害のお婆さん

登録:2015-05-28 22:46 修正:2015-05-29 07:23
 日本軍慰安婦被害者イ・ヒョスンさん死去...慶尚南道地域の市民社会葬
日本軍慰安婦被害者のイ・ヒョスンお婆さん //ハンギョレ新聞社

 日本軍慰安婦被害者であるイ・ヒョスンお婆さん(91)が27日午後7時50分頃、日本の公式謝罪を受けられないまま亡くなった。政府に登録された慰安婦被害者238人のうち生存者は52人に減った。

 故人は慶尚南道・宣寧(ウィリョン)郡で四姉妹の長女として育った。 17歳だった1941年に近所の洗濯場で連行された。トラックに乗せられて釜山に行き、また船に乗り替えて日本の下関に渡ってから、台湾の日本軍慰安所に送られた。そこで1年間の地獄を味わったてからも、中国、シンガポール、ベトナムなどで転々としながら慰安婦としての生活を余儀なくされ、解放直後に帰国した。しかし、故郷には帰らず、釜山(プサン)、馬山(マサン)、ソウルなどで、食堂や家政婦の仕事をしながら、一人で暮らした。 2007年、妹が住む慶南・昌原(チャンウォン)に移り住み、晩年は昌原ファティマ病院の集中治療室に入院し、そこで息を引き取った。

 イさんは、亡くなる直前まで「私も他の人のように結婚して子供も産みたかった」と慰安婦として連行した日本軍を恨んでいた。慶南地域の市民社会団体は故人の葬儀を「日本軍慰安婦被害者故イ・ヒョスンお婆さん市民社会葬」で行うことを決め、市民社会団体の代表9人が共同葬儀委員長を務めることにした。 29日午後7時、殯所で追悼式を開く予定だ。

 殯所は昌原ファティマ病院で、出棺は30日午前7時だ。葬地は慶南昌原市城山(ソンサン)区上福(サンボク)洞昌原市立上福公園。

昌原/チェ・サンウォン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-05-28 18:58

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/693288.html  訳H.J

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