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[韓日国交50年の争点4] 李明博独島訪問で死滅した密約

登録:2015-06-03 10:34 修正:2015-06-05 08:15
独島を訪問した李明博大統領が独島灯台近くの展望台で島を見回している=独島/青瓦台写真記者団//ハンギョレ新聞社

 2012年8月、李明博(イ・ミョンバク)大統領の独島(日本名=竹島)訪問が、ここ数年の韓日関係悪化の決定的な契機になったことに異論の余地はない。日本政府は李大統領の独島訪問直後、この問題を国際司法裁判所(ICJ)で解決することを提案する一方、日本の不当な領土主張を強化させるため、国内外で広報活動を拡大している。その結果、今後使用される日本のすべての小中高の教科書に「竹島は日本の固有の領土であり韓国が不法占拠している」とする記述がされる状況になった。

 李大統領の独島訪問は、韓日協定後50年を迎える両国関係に甚大な影響を及ぼした。この訪問により、韓日協定交渉過程でなされたいわゆる「独島密約」が死滅したためだ。

「韓国の事実上領有」を棚上げし
「解決せざるをもって、解決したとみなす」
塞いだフタを開き両国関係に悪影響

 独島密約とは、韓日会談が終結に向かう1965年1月11日、ソウルで丁一権(チョン・イルクォン)国務総理と河野一郎・自民党副総裁密使の宇野宗佑との間で確定した合意を指す。密約を通じて韓日両国は独島問題を「解決せざるをもって、解決したとみなす。 したがって、条約(韓日協定)では触れない」としてこの問題の解決を事実上棚上げした。その精神により同年6月に締結された「紛争解決に関する交換公文書」では「両国間の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかつた場合は、両国政府が合意する手続に従い、調停によつて解決を図るものとする」ことで合意する。両国が互いに“合意する手続き”により問題解決を図ることにし、韓国が合意しない限り韓国の独島領有を日本が変更できない構造が作られたのだ。

 1945年8月の解放以後、独島が両国の間で問題になったのは、1952年1月18日に発表された大韓民国国務院告示第14号「隣接海洋の主権に関する大統領宣言」(李承晩ライン)が出されてからだ。李承晩(イ・スンマン)政権は日本の先進漁業から韓国漁場を保護するため、独島東側に李承晩ラインを設定し、これを越えた日本漁船を拿捕し始める。日本外務省が2010年に発行した「日韓会談重要資料集」によると、李承晩ラインが引かれた後、韓国当局により拿捕された日本漁船は220隻、乗組員は2670人と確認される。日本政府は自国漁民が相次いで拿捕される状況を打破するため、韓日協定締結を急ぐべきとする国内的な圧迫を受けることにもなる。

 独島密約が実在したかどうかは議論が分かれる。金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相は先月4日、中央日報とのインタビューで密約の存在を否定した。しかし密約の仲介役になった金元首相の兄、金鍾ラク(ラク=王へんに各)氏は2010年8月1日に放映されたNHK放送とのインタビューで「密約は誰のアイディアか」との質問に、「(河野副総裁に)私が瞬間的に話をした」、「関連文書はないのか」との質問には「全部燃やしてしまった」と答え、密約の実体を証言している。

 ようするに両国は独島問題を密約として封じ込めたが、李大統領の無分別な行動が、これを壊したという結論に至ることになる。その結果として、日本のすべての教科書に「竹島は日本の領土」という記述が載るようになり、この問題が韓日関係に決定的な悪影響を及ぼす葛藤の火種として蘇った。

東京/キル・ユンヒョン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-06-02 20:27

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/693970.html 訳Y.B

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