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軍艦島の朝鮮人強制労働で122人死亡

登録:2015-06-02 08:11 修正:2015-06-02 17:13
 軍艦島徴用実態
 1891~1974年石炭1570万トン採掘
 中国人も15人犠牲
軍艦島がユネスコ指定世界文化遺産に登録されると知られ、島は多くの観光客で混みあっていた。だが島で過酷な労働を強いられた朝鮮人労働者がいた事実の説明はなかった=軍艦島(長崎)/キル・ユンヒョン特派員//ハンギョレ新聞社

 日帝強制占領期間中に軍艦島(端島)に連れていかれた朝鮮人労働者が、どんな労働に耐えねばならず、その過程で誰が、どのように亡くなったのかは、日本の公文書と生存者の証言などを通して全貌が明らかになっている。

軍艦島の位置と概要 //ハンギョレ新聞社

 軍艦島で初めて石炭が発見されたのは1810年。1890年に三菱合資会社(後に三菱鉱業株式会社)が島を買収した後、本格的に海底炭鉱開発を始めた。1891年から1974年の廃鉱まで、ここで採掘された石炭の量は1570万トンに達する。

 炭鉱の中の労働条件は筆舌に尽し難いほど劣悪だった。鉱夫は立つこともできない狭い坑内で長期間労働を強いられた。島の訪問客に配られるパンフレットにも「炭鉱の中の気温は平均30℃、湿度は95%だった。常にガス爆発など危険と向き合って作業するのは非常に苛酷だった」という内容がある。軍艦島近くにある別の炭鉱島、高島の場合、島を出て行くのは死を意味することから「地獄島」の悪名で呼ばれた。

 韓国政府の「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者など支援委員会」は2012年の報告書で、1944年に軍艦島に約500~800人の朝鮮人労働者がいたと推定した。1925~1945年に島で亡くなった朝鮮人は122人という明確な数字が公開されている。日本の市民団体「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」のメンバーが島を訪問し、この時期に亡くなった日本人1162人、朝鮮人122人、中国人15人の名前、本籍、死亡日時、死亡原因などの情報が記された町役場の公文書(火葬許可証)を発見したためだ。このうち17歳以上の朝鮮人の死亡原因は、病死30%、外傷による死亡14%、変死26.1%などとなっている。同委員会は「変死などは炭鉱災害が原因と見られるが、苛酷な行為にともなう死亡の可能性もある」という意見を出している。

 狭い島の海底鉱山に多くの鉱夫を動員したので、島の土地不足は深刻だった。そのため1916年に日本最初の鉄筋コンクリート建造物が建てられるなど、島のあちこちに高層建築が建てられた。

一般観光客に公開されるのは軍艦島のごく一部。策の内側は「立入禁止」であることを知らせる説明文がある。軍艦島には朝鮮人の強制動員事実などを知らせる案内板は設置されていない=軍艦島(長崎)/キル・ユンヒョン特派員//ハンギョレ新聞社

軍艦島(長崎)/キル・ユンヒョン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-06-01 22:27

https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/693853.html 訳Y.B

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