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白血病で死亡したサムスン半導体協力業者社員が日記に残した遺言

登録:2015-03-04 08:10 修正:2015-03-04 08:46
半導体ライン設置時に化工薬品・露出ガスも知らぬまま常駐
3日昼、ソウル中区のソウル市庁1階ロビーで、サムスン電子協力業者社員として働き白血病闘病の末に死亡した故ソン・ギョンジュ氏の息子ソン・ソンベ氏が携帯電話に保存した父の闘病写真を記者に見せている。キム・ギョンホ先任記者

 「私になにかあればパンオルリム(半導体労働者の健康と人権守るパンオルリム)を訪ねてくれ」と言っていた父親の話に従い、ソン・ソンベさん(26)は2012年9月に三日葬が終わるとパンオルリムのドアを叩いた。そして、娘のファン・ユミさんの日記帳を基に8年前に初めて半導体白血病問題を提起したファン・サンギ氏のように、ソンさんも父がポータルサイト「ダウム」の非公開カフェに残した日記帳を根拠に労災を申し込んだ。

 ソン氏の父、故ソン・ギョンジュ氏(死亡当時53歳)は2003年3月からサムスン電子半導体の華城(ファソン)と器興(キフン)工場の生産設備維持と保守業務(PM)を行う協力業者で働いた。だが2009年5月に白血病診断を受ける。骨髄移植後、快復したようだったので2010年8月に復職したが、2012年1月に再発して7カ月後に亡くなった。彼は2009年12月から亡くなる前までカフェに日記を書き残した。初めは家族や会社など日常の話だったが、2010年8月の復職後は、組織図、サムスン安全協議体会議招集、作業環境測定などの業務資料や、「イ・ゴンヒ会長白血病緊急会議」、「クォン・オヒョン サムスン電子社長『発ガン物質絶対使わない』」などの記事も集めた。2012年3月12日には自分の作業環境を詳しく書き込んでいる。

 2012年に闘病の末に死亡したソン・ギョンジュ氏
 華城・器興工場の設備作業内容を書き込み
 有害物質に露出するほかなかった
 サムスン本社社員と同じ業務遂行

 サムスンは労災補償に協力会社を除外
 ソン氏の息子「父もサムスンで仕事をした」

 彼はサムスン半導体の華城・器興工場新設ライン設置過程が最も疑わしいと書いていた。ソンさんは協力業者管理所長だったが半導体を作るクリーンルームに留まって仕事をした。

 「華城工場12ラインの初期セットアップ(設置)時は品質向上のため協力会社代表はもちろん管理所長も現場で8時間以上毎日常駐して管理する」、「既存ラインに比べれば良いとされたが 化工薬品や露出ガスがあるのをほとんど知らずに進行された」、「3、4カ月の設備セットアップ期間中は有害物質に露出するほかない」。日記には元請けのサムスン半導体が協力業者社員を指揮・命令した情況も記されてあった。「華城工場での設備メンテナンスはサムスンの現場社員とほぼ一緒に遂行され、労働部で問題を提起すると直ちに業務領域を厳格に区分しようと努めたが、実質的にはうまくなされなかった」「(2004年の器興工場新規ライン設置状況と関連し)現代自動車の本社社員と協力会社社員間で 右車輪セットアップは現場社員が、左車輪は協力会社社員が行うように、サムスン半導体の製造工程も同じと考えてかまわない」

 だが、勤労福祉公団水源支社は昨年10月、管理職であるソン・ギョンジュ氏が現場で仕事をしていなかったと判断し「有害化学物質の露出レベルが低い」として労災を認めなかった。ソン・ソンベ氏は今年1月に勤労福祉公団に再審を請求。2日に会えたソン氏は「父が(死んだ後にも原因糾明を)続けろという気持ちで日記を残したと思え、最後までやりとげたいです」と話した。

 ソン・ギョンジュ氏は「協力業者社員」という新たな山も越えなければならない。ファン・ユミ氏などサムスン半導体の正社員労働者5人で始めた労災申請は過去8年間で64人に増え、半導体LCD、正社員から非正規労働者にも広がっている。しかし労災が認められたのは7人だけで、そのうち協力業者社員は1人もない。サムスンは1月16日の白血病などサムスン半導体・LCD職業病被害者問題を議論する調停委員会で、「協力会社社員は道義的・法律的責任が雇用した該当業者にある」と線引きをした。

 ソン・ソンベ氏は4日午後2時、金属労組が開くサムスン電子職業病被害者証言大会に父の日記を伴って参加する。「父が生きていたらどんな話をするでしょう。『サムスンが作った作業環境でサムスン社員と一緒に仕事をしたのに、なぜ補償範囲に含まれないのか』ではないでしょうか」

キム・ミンギョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015.03.04 01:17

https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/680700.html 訳Y.B

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