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サムスン半導体工場で娘を失った父親の7年の闘い

登録:2014-09-10 23:04 修正:2014-09-11 09:02
白血病で死んだ娘の“半導体労災”認定を引き出したファン・サンギ氏

サムスンは責任回避・勤労福祉公団は労災申請を引き止め
長い闘病に長い裁判で深い傷を負う
多くの“ユミ”たちのうち労災認定は5人のみ
「補償・再発防止交渉…道のりはまだ遠い」

ファン・サンギ氏

「発病原因を必ず見つけるというユミとの約束を守りました」

ファン・サンギ氏(59)は今回の秋夕(チュソク・中秋節)に娘のユミさんに会う代わりに、タクシーのハンドルを握った。 ファン氏はサムスン電子半導体工場で仕事をして白血病に罹り、2007年3月6日に亡くなった娘のユミさん(当時23才)の遺骨を蔚山岩(ウルサンバウィ)と海が見える江原道束草(ソクチョ)市の低い山に撒いたが、めったに訪ねることはない。

「行きたいが、行けば涙が止らなくなる…」

 そんな父親の気持ちを思ってのことだろうか。勤労福祉公団は10日、故ファン・ユミさんと故イ・スギョンさんの労災を認めた先月21日のソウル高裁判決に上告しないことを決めたと明らかにした。あらかじめその知らせを聞き喜んで眠った母親の夢の中にユミさんが訪ねてきた。高3だった2003年10月、サムスン電子器興(キフン)工場に入社して半導体原版を高温で加熱したり表面をガスや化学溶液で削る仕事をしていたが、2年後に白血病を発病し、その2年後に亡くなった娘のユミだった。

 父は強かった。ユミさんが白血病の診断を受けてから9年、天国に旅だって7年経て、ようやく無念の死をとげた娘の労災認定を得た。 ファン・サンギ氏は『ハンギョレ』との通話で、「ユミが苦しみながら闘病している時の髪を剃った姿が思い出されて、目がしらが赤くなりました。 良かったという思いと同時に様々な感情が蘇ってきて…」と話した。 喜びと無念が入り乱れた彼の声から、父親としての複雑な気持ちが伝わってきた。

 ファン氏が娘との約束を守るためにひたすら耐えてきた7年間を一つの単語に要約すれば“傷”だ。

「労災を申請するために亜洲(アジュ)大学病院の医師に話したところ『会社と関連づけようと考えてはならない』という答を聞いたこととか、ユミがサムスン電子に辞表を書く時に『これまでかかった病院費5000万ウォン(約500万円)を出す』と言ったが、一か月後にサムスンの職員が病院に500万ウォン(約50万円)を持ってきて、『これで解決しよう』と言ったことなど、色々なことを思い出します」

 父は決して屈しなかった。 報道機関や市民団体を訪ね歩いて、サムスンの責任を問い質した。 2007年11月、イ・ジョンナン労務士たちと共に「半導体労働者の健康と人権を守るパンオルリム」を発足させ、束草とソウルを往復しながら長い戦いを始めた。 その間パンオルリムに情報を提供してきた半導体・電子産業職業病被害者は289人に達する。

 しかし労災の壁は今も高い。労災申請をした43人のうち、認められた人は5人に過ぎない。 サムスン半導体労働者のうち、白血病と業務の関連性を認められた被害者はファン・ユミさんとイ・スギョンさんだけだ。

 ファン氏は「1審判決時は夢か現実か戸惑ったが、2審判決まで受けてすべてが明らかになりました。サムスンが化学薬品の管理をまともにできず、働いていた人々が病気に罹って死んだということが認められたじゃないですか。 サムスンにきちんとした補償と再発防止対策を作らせるという考えが一層強くなりました」と話した。

 父親のファン・サンギ氏の行く道はまだ遠い。多くの“ユミ”たちのためのサムスンとの交渉は足踏みしている。 最近では労災を申請した全員の補償を要求するパンオルリム側とは異なり、まず自分たちの補償を議論することを願う被害者6家族との意見が分かれた。 全て長い闘病と看護に疲れた人々だ。

 ファン氏は「サムスンがお金をいくらか払って終わらせようとしているのでないならば、大企業らしく正々堂々と再発防止の約束を確実にし、補償も交渉を通じて終えなければなりません」と力説した。

サムスン電子半導体工場被害労働者である故ファン・ユミ氏と父親のファン・サンギ氏//ハンギョレ新聞社

キム・ミンギョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/654700.html 韓国語原文入力:2014/09/10 22:07
訳J.S(1778字)

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