「あきれて言葉も出てきません」
日帝強制占領期に日本の三菱重工業兵器工場に連れて行かれ強制労働をさせられたキム・ジェリムさん(84・全羅南道和順郡綾州面)は25日、日本政府が厚生年金脱退手当として199円(1844ウォン)を支給したことに対して「どういうつもりか?」と怒った。日本厚生労働省傘下の日本年金機構は4日、キムさんとヤン・ヨンスさん(85)、シム・ソンエさん(84)の3人に厚生年金脱退手当として199円を代理人口座宛に送金したという。
キムさんは1944年5月末「女学校に行ける」という話にだまされて日本に強制動員され、1945年10月末まで三菱重工業名古屋航空機製作所で働いた。だが、賃金は一銭も受け取れず、食事もろくに食べられなかった。 1944年12月の大地震の時に崩れた建物に埋められたキムさんはかろうじて救助されたが、一緒に逃げた従姉妹は遺体すら収拾できなかった。 キムさんは「その時の後遺症で今も全身が痛むのに病名がつかない」と話した。 賃金を一銭も受け取れずに帰国したキムさんは20歳で結婚し、兄弟姉妹を産んだ後に夫と死別し、今まで苦労の絶えない生活を送ってきた。 キムさんは「挺身隊という名称のために慰安婦と誤解され、今まで話もできずに黙って生きてきた」と話した。
キムさんと一緒に三菱重工業名古屋に勤労挺身隊として動員された被害者は、全羅道(138人)と忠清道(150人)地域の13~15歳の少女288人に達する。 当時そのうち6人の少女は1944年12月の大地震で命を失った。 生存者は帰国した後、挺身隊という名称のために“日本軍慰安婦”と誤解され縁談がこわれたり離婚するなどの苦痛を体験した。 ヤン・クムドクさんなど被害者8人が1999年3月に日本政府と三菱重工業を相手に損害賠償請求訴訟を起こしたが、2008年11月に日本の最高裁判所はこれを棄却した。 1965年の「韓日協定締結ですべての請求権が消滅した」という理由だった。
キムさんら4人は2014年11月、厚生年金脱退手当を支給してほしいと日本政府に申し込んだ。 日本政府はキムさんら3人に1944年10月1日から1945年10月21日までの厚生年金脱退手当を当時の金額で計算して199円を支給した。ジャージャー麺一杯にもならない金額だ。 1人には加入期間6カ月を充足していないとして一銭も支給しなかった。
「勤労挺身隊被害者と共にする市民の会」はこの日、記者会見を通じて「日本政府は70年も支給を遅滞させただけでなく、その間の貨幣価値変化を全く無視して解放当時の額面価そのままを適用した」として「侮辱の最たるものだ。九十路を迎えようという被害者をそこまでみじめにさせるのか」と糾弾した。
これに先立って日本政府は、2009年にヤン・クムドクさん(86)など被害者8人に厚生年金脱退手当として99円(1243ウォン)を支給したことがある。
だが、日本政府が厚生年金脱退手当を支給したということは、これまで否認していた強制動員の事実と個人請求権が有効でることを確認したからこそ支給したという意味もある。 市民の会は「厚生年金問題は緊急な対日外交懸案だ。 韓国政府は今回の“199円事態”を通じて現在膠着状態にある日帝強制動員問題を解決に導く分岐点にしなければならない」と主張し、政府次元の対処を要求した。
一方、ヤン・クムドク、キム・ジェリムさんなど、勤労挺身隊被害者9人は2012年から韓国の光州地方裁判所に三菱重工業を相手に損害賠償請求訴訟を進行中だ。 ヤンさんなど5人は2013年11月、1審で勝訴した。