"その日、工場で作業を始めようとした時、突然工場の建物が崩れた…"
ホン・スンウィ(90・京畿道(キョンギド)龍仁市(ヨンインシ))氏は1945年8月6日、米軍が原子爆弾を投下した日本広島の三菱重工業(株)軍需工場(機械製作所)で仕事をしていた。 原爆による爆風で建物が崩れ、残骸の山の下敷きになり腰を負傷したホン氏は、かろうじて下関港に行き船に乗って帰郷した。 当時、龍仁郡(ヨンイングン)二東面(イドンミョン)で妻と農作業をしていたが強制徴用されて広島に行き約11ヶ月目のことだった。 ホン氏は三菱重工業機械製作所の鋳鉄工場で朝から晩までハンマーで鉄を叩いたり切ったりする重労働をしたが、いまだに当時の未払い賃金を受け取っていない。
ホン氏をはじめ三菱重工業広島軍需工場に連れていかれた強制動員被害者の遺族13人など14人は1日三菱重工業を相手に1人当り1億ウォンずつを支払えとの損害賠償請求訴訟をソウル中央地裁に出した。 ホン氏たちは日本に強制動員され三菱重工業軍需工場で強制労働に苦しめられた挙句、原爆被害まで負い生涯にわたり皮膚病などの各種後遺症に苦しめられてきた。
訴訟代理を引き受けたチェ・ポンテ、チャン・ワンイク弁護士は「三菱重工業はホン氏など被害者に強制労働をさせ、莫大な利益を手にしていながら被害補償はもちろん当然に支払わなければならない賃金すらまともに払わず、被爆後の救護措置もせず原爆被害を被らせた」と指摘した。
‘韓国原爆被害三菱徴用者同志会’会員だったパク・某氏らが2000年5月釜山地方裁判所に三菱重工業を相手に損害賠償請求訴訟を起こした後、最高裁が昨年5月24日‘強制動員被害者の個人請求権は生きており、日本企業らに損害賠償責任がある’と判決し、ホン氏らはこの日損害賠償請求訴訟を提起した。 国内で日本企業を相手に出した損害賠償請求訴訟は計6件だ。 最高裁がパク氏らの訴訟を破棄差し戻した後、釜山高裁は損害賠償額を確定した宣告公判を2日に開こうとしたが来る30日に延期した。
光州(クァンジュ)/チョン・デハ記者 daeha@hani.co.kr