極右の暴力はすでに韓国社会に到来している。ただ、その分配が不均等であるだけだ。ある人にとってその暴力は生死にかかわる問題である一方、ある人にとっては「後回し」にしても済む単なる副次的な事柄だ、というように。しかし、彼らののんきさとは異なり、ぜい弱な集団をさがし出して標的にするのは非常に簡単なことだ。彼らに対するヘイトをあおったり暴力を加えたりすることは、快楽を与えてくれることすらある。あえて「女に学問は必要ない」というメッセージを送って女子大に爆弾を設置したと脅迫する、その時の気持ち、学生たちが慌てて避難する様子をながめるその気持ちだ。
一方、極右プロテスタントは、政府が手をこまねいている間に「聖書的性教育」を主力事業として展開してきた。「米国直輸入の胎児模型」を販売して女性の再生産権を否定したり、生物学という美名の下に性別に対する反知性主義にもとづく固定観念を注入したりしている。生まれつき女性は赤が、男性は青が好きだという。「ジェンダー」概念は「真の女性」に対する抑圧だ、「同性愛は罪悪」だ、と主張して正常家族イデオロギーを吹聴する。時を同じくしてインターネットを占領した女性嫌悪コンテンツは、まるで息の合う共謀者のようだ。小学生に人気のTikTokは女性を性的対象化し、すでに答えが決まっている「男らしさ」と「女らしさ」を刻印する。性差別的なイメージであふれる「ショート動画」は絶望的だ。
ファシズム研究100年史を貫く内容にあえて言及しなくても、極右勢力が復元しようとしている「祖国の秩序」には、必ず「男性性」と「女性性」が動員される。彼らにとってジェンダーは、それそのものが秩序であり序列だからだ。だからジェンダー規範は退行し、「男性被害者言説」が登場し、性差別と女性嫌悪が広がっている。性差別と女性嫌悪は家父長制の再生産に必要不可欠なメカニズムだ。性差別は男性と女性を区別するが、女性嫌悪は女性と女性を区別するからだ。つまり「善良な女」と「悪い女」にだ。したがって、家父長制が要求する身だしなみと心構えに忠実に従わない女性は、処罰の対象となる。女性がショートヘアにしているという理由で「フェミニストは殴られるべきだ」と言われて暴行されたのが代表的な例だ。
極右の暴力はいつでも発現しうるし、私たちはその対象が誰なのかをすでに知っている。女性、クィア、トランスジェンダー、難民、移民、華僑・中国人、局面によっては嫌悪と暴力の新たな標的が浮かび上がってくるだろう。私たちに警鐘を鳴らす事件は今まで十分発生してきたではないか。とりわけ若い世代は各種の嫌悪コンテンツに無限にさらされているが、政府は驚くほど無関心だ。すべての国民のための政府になると言っておきながら、いつも誰が後回しにされているのか、あまりにも明らかだ。そのように「後回し」のカテゴリーにくくられた人々、そして彼らと連帯する人々は、不屈の忍耐と「自己防衛」の感覚で耐えているが、果たしていつまでそうしていられるだろうか。
先日、ソウル大林洞(テリムドン)で極右勢力に抗して連帯集会をおこなった人々のように、先制的にこの世界を守り抜く積極的実践を続けている人たちがいる。極右の暴力に事後的に反応するだけでは足りないだけでなく、そうなった時にはすでに遅いからだ。新政権も役割を果たさなければならない。韓国社会において差別、嫌悪、暴力がどこまで到達しているのかを直視するとともに、そのような暴力に真っ先にさらされる人たちを政策的考慮の中心にしなければならない。これこそ、極右勢力の成長を防ぐための第一の前提だ。すなわち、政府はぜい弱な人々の味方だという明確なメッセージを発し、彼らと共に生きる実質的政策を立てなければならない。
政府はきっかけをつかめずにいるが、性平等政策、性平等教育、そして差別禁止法は、極右化に対抗するために必要不可欠だ。大林洞に集った人々が差別禁止法の制定を叫んだ理由もここにある。女性家族部は「低い」所にいる人々のために恩恵を施す政策を展開する機関ではなく、あらゆる人の尊厳と平等のための高貴な基準を確立し、全社会がその基準に到達できるよう圧力を加える機関だ。当然、すべての省庁が性平等と差別禁止のために協力しなければならない。私たちにはこれ以上放置する時間は残されていない。極右化の未来は十分に防ぐことができる。ただし、政府がきちんと働けば。
キム・チョン・ヒウォン|米国アリゾナ州立大学教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )