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「強制動員賠償、時間との闘い…被害者の方々が亡くなっても『記憶闘争』続ける」

登録:2022-09-06 04:47 修正:2022-09-06 07:43
[インタビュー]日帝強制動員市民の会のイ・グゴン理事長
9月3日、日帝強制動員市民の会のイ・グゴン理事長が光州広域市西区双村洞の事務所で勤労挺身隊被害者の記録について説明している=キム・ヨンヒ記者//ハンギョレ新聞社

 今月2日午後、日帝強制動員被害者のヤン・クムドクさん(93)は光州市良洞(クァンジュシ・ヤンドン)の自宅前の東屋でひとりマッコリの盃を傾けた。この日、パク・チン外交部長官が初めてヤンさんを訪問したため韓国・日本の取材陣、警察、市民団体の会員ら数十人が集まり、一時は自宅前が騒がしかったが、長官とともに人波は引き潮のように去り、閑散としていた。ヤンさんは「裁判で勝ったのに賠償金どころか謝罪も受けられなかった。長官には日本の顔色をうかがうなと言ったが、どれほど私の話を聞いてくれるか分からない」と語りながら、ぼんやりと前を眺めていた。

 ヤンさんに付き添っていた「日帝強制動員市民の会」のイ・グゴン理事長(54)は「一人暮らしをされているから、今回のように人がいっぺんにやって来ていなくなると、よりいっそう寂しがる。気持ちが強い方だからその時その時よく耐え抜いていらっしゃるけれど、90歳を超えてからは健康が以前のようではないので心配」だと語った。

 「時間との戦い」。3日に光州市双村洞(サンチョンドン)の日帝強制動員市民の会の事務所で再び取材に応じたイ理事長は、強制動員の加害者と被害者が現在直面している状況を一言で表現した。20数年間にわたって朝鮮女子勤労挺身隊の被害の解決に向けた活動を行ってきた同氏に、強制動員被害の解決策と韓日政府の態度の問題、記憶闘争について聞いた。

日帝の勤労挺身隊被害訴訟闘った8人のうち 
生存者はヤン・クムドクさんとキム・ソンジュさんの2人のみ 
2012年から賠償訴訟に8回勝訴も 
「日本政府と戦犯企業の時間稼ぎ戦略」 

2009年に市民の会設立し、支援開始 
「被害者の証言録など記憶闘争を準備中」

9月1日、日帝強制動員の市民の会のメンバーたちが光州広域市議会市民疎通室で記者会見を行い、強制動員被害の解決に消極的な韓国政府を批判している=日帝強制動員市民の会提供//ハンギョレ新聞社

 イ理事長は「当時、1999年から2001年にかけて日本で初めて訴訟を起こしたヤン・クムドク、キム・ソンジュ、キム・ヘオク、イ・ドンニョン、パク・ヘオク、チン・ジンジョン、キム・ボンネ、キム・ジュンゴン(被害者の遺族)の8人の原告のうち、いま生き残っていらっしゃるのはヤンさん、キム・ソンジュさんの2人だけ。日本政府と戦犯企業は、被害者たちがみなこの世を去れば、自分たち行いは歴史の中に埋もれると判断したのだろう」と説明した。そして「被害者たちは2012年から韓国の法廷で損害賠償訴訟の一審から三審、三菱の国内資産の差し押さえの一審から三審、差し押さえ資産の強制売却の一審から二審まで、8回勝訴したが、三菱が毎回最高裁の判決まで引っ張っている理由もそこにある」と分析した。

 イ理事長は、日本政府と戦犯企業の誠意のない態度に加え、韓国政府までもが被害者たちを苦しめていると指摘した。韓国政府が賠償金を代わりに支給し、後に日本側に請求する「代位弁済」方式の議論から、最高裁に三菱の国内資産売却判決を遅らせるよう求めた7月の外交部による意見書提出に至るまで、全て加害者に肩入れしているということだ。

 ヤンさんが2日にパク長官に対し「お金ならとっくに諦めています。私は日本から謝罪される前には死んでも死にきれません。三菱は謝罪してお金も出してください。別の人がくれたとしても絶対に受け取れません」と記した自筆の手紙を渡したのも、同じ理由からだ。

 イ理事長は「当面の関係改善のために韓国政府は日本に肩入れしているが、1965年の韓日請求権協定、2015年の韓日慰安婦合意など、被害者を排除した歴史清算が現在どのような結果をもたらしているのかを考えなければならない。日本の裁判所は違法の内容を全て認めつつ、日本に対して賠償請求をするなと言っただけで、韓国での請求は排除していないということに注目すべき」だと強調した。韓国政府が強制動員被害者の権利を日本に要求しても、それは両国の司法府の判断を傷つけるものではないという説明だ。

 イ理事長は「過去の韓国社会では慰安婦と勤労挺身隊が区別できておらず、慰安婦と誤解された被害者たちは他人だけでなく夫や子どもにまで後ろ指を差されたという痛みがある。被害者たちにとって日本の謝罪と賠償は、80年の無念を少しでも晴らす方法」だと強調した。

日帝強制動員市民の会のメンバーが9月3日、光州楓岩洞で行われたフリンジフェスティバルの会場にテントを張り、強制動員被害を訴える紙を掲げている=日帝強制動員市民の会提供//ハンギョレ新聞社

 イ理事長は大学院で近現代史を専攻した後、「オーマイニュース」と「市民の声」で記者として働いていた際に、勤労挺身隊被害者たちと出会った。イ理事長と親交を深めた被害者たちは、我が子にさえ話せなかった家族史を打ち明けた。イ理事長は2008年3月に記者を辞め、2009年に市民団体「勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会」を設立し、本格的な支援に乗り出した。

 イ理事長は、被害者たちがみなこの世を去った状況に備えて記憶闘争を準備している。被害者たちの映像や太平洋戦争犠牲者光州遺族会の故イ・グムジュ会長の訴訟資料などを集めて歴史館を作り、後代に被害者たちの人生を伝えていく計画だ。

 「故イ・ドンニョンさんは日本で裁判をする時、身分を隠すために真夏でも必ずマフラーとサングラス、マスクで顔を隠して参加していたため、イ・グムジュ会長が『なぜこのように悲痛に裁判をするのか』と言って腹を立てたこともある。今は勤労挺身隊の被害は知られているが、2000年代まで被害者たちは路地裏ばかりを歩く人生を送ってきた。彼女たちの被害を認め、記憶してこそ正しい韓日関係が築ける」

キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/1057605.html韓国語原文入力:2022-09-05 19:13
訳D.K

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