パク・チン外交部長官が光州(クァンジュ)を訪れ、日帝強制動員被害者に初めて会った。 パク長官は、「被害者の意見に耳を傾ける」としながらも、「最高裁に提出した意見書を撤回するつもりはない」と明らかにし、市民団体の反発を買った。
2日午後1時、パク長官は高速鉄道に乗って光州に到着し、光山区(クァンサング)に住むイ・チュンシクさん(98)の自宅を訪れた。イさんは1943年1月、岩手県の日本製鉄釜石製鉄所に強制動員されたのち、解放前まで米軍捕虜収容所の監視員として働いた。彼は新日本製鉄(株)を相手に損害賠償請求訴訟を起こし、韓国最高裁(大法院)で2018年10月30日、勝訴が確定した。
イさんは娘とともにパク長官を迎え、「忙しい中、ソウルからわざわざ足を運んでいただき、ありがとうございます」としたうえで、「22歳の時、日本製鉄で苦労し、軍生活までしたが、賃金を受け取ることができなかった。生きているうちに日本に謝罪と補償を受けたい。裁判の結果を最後まで履行してほしい」と語った。パク長官は「日本との外交交渉を通じて国民が納得できる形でこの問題を解決するため、最善の努力をする」と答えた。
さらにパク長官は光州市西区良洞(ソグ・ヤンドン)に住むヤン・クムドクさん(93)の自宅を訪れた。ヤンさんは1944年5月、三菱重工業名古屋航空機製作所に動員され、解放まで帰国することができなかった。ヤンさんは1999年3月、日本の法廷で損害賠償訴訟を起こし、2008年11月に最終敗訴した後、2012年10月に韓国の裁判所で再び訴訟を起こし、2018年11月、最高裁で最終勝訴判決を言い渡された。
ヤンさんは「2009年、厚生年金脱退手当として1000ウォン(99円)を受け取った。最高裁で勝訴したのに、数年間謝罪も賠償も受けられずにいる。韓国政府は何が怖くて一言も言えないのか」とA4用紙1枚分の自筆の手紙を渡した。
自筆の手紙には「小学校6年生の時、日本に行って死ぬほど働かされて、お金はもらえなかった。結婚した後、(慰安婦と誤解されて)後ろ指を差されながら暮らした。お金のためならとっくに諦めていただろう。日本に謝罪と賠償を受ける前は死ぬに死ねない」と書かれていた。
パク長官は被害者との面会が終わった後のインタビューで、「被害者の方々の話をよくまとめ、日本側に伝える」と述べた。最高裁に提出した意見書については「法令と手続きに則って正当に行ったもので、決して裁判所判決に影響を与えたり、関与するものではない。撤回するつもりはない」と述べた。
これに対して日帝強制動員市民の会のイ・グゴン理事長は「今日、パク長官が被害者に意見書については一言も言及せず、謝罪もなかったのは非常に遺憾」だとし、「今日の被害者との面会が『見せかけのショー』にならないことを願う」と話した。
一方、ヤンさんなど強制動員被害者が進めている三菱国内資産現金化手続きは長期化する見通しだ。これに先立ち戦犯企業が賠償に応じなかったため、生存原告のヤンさんは三菱重工業の韓国内商標権2件、キム・ソンジュさん(93・女)は特許権2件を差し押さえた。 しかし、これを売却する特別現金化命令訴訟の最高裁判決を控えている状況で、キムさん事件の主審だったキム・ジェヒョン最高裁判事(57、司法研修院18期)が6年の任期を終えて2日に退任してしまった。新しい主審最高裁判事が指定されても、事件を把握するのに時間がかかるものとみられる。これについて、市民団体などでは、最高裁が韓日関係の破局を懸念し、判断を先送りしているという疑惑も持ち上がっている。