9日、セウォル号惨事の際の救助指揮の失敗責任と関連し、拘束前被疑者尋問(令状実質審査)を受けにキム・ソクキュン元海洋警察庁長など6人が、ソウル瑞草洞(ソチョドン)のソウル中央地裁に出頭しました。キム元庁長は同日、「(惨事当時)緊迫した状況で、海洋警察は1人でも多く救助するために渾身の努力を傾けた」と主張しました。その姿を見て、2015年12月15日、セウォル号特別調査委員会聴聞会で、セウォル号との交信を指示しなかったという指摘を受けたキム・ムンホン元木浦(モッポ)海洋警察署長が「神でもない限り、どうやってこれらを全部チェックできるのか」と反論した場面を思い出しました。
こんにちは。セウォル号惨事以後、関連記事を書いてきた土曜版チームのチョン・ウンジュです。検察が請求した拘束令状が裁判所によって棄却されたものの、海洋警察の首脳部が起訴され、救助指揮の失敗の責任を問われる可能性は依然として残っています。当時、救助の指揮を執ったキム・ソクキュン元庁長やキム・スヒョン元西海庁長、キム・ムンホン元署長だけでなく、イ・チュンジェ海洋警察警備安全局長、ヨ・インテ海洋警察警備課長、ユ・ヨンシク西海庁状況担当官に対する拘束令状を請求したことから、検察が注目している海洋警察の救助失敗の内容を推察できます。
2014年4月16日午前9時36分、事故現場に到着した海洋警察の警備艇123艇が、救命ボートを下している時、キム・ギョンイル艇長の携帯電話が鳴りました。「今、船の具合はどうですか?」。上部から「なぜ現場から報告が入ってこないのか」と急かされたヨ・インテ警備課長からの電話でした。「現在(セウォル号が)左舷に約45度、50度傾きました」。123艇長の最初の現場報告が始まりました。
「人が見えますか」(ヨ・インテ)
「今、一人も見えません」(キム・ギョンイル)
「海に飛び込みましたか?」
「海には一人もいません」
「沈没しそうですか?」
「今見る限りでは傾き続けています」
ヨ・インテ警備課長は、セウォル号が左舷50度に傾いたにもかかわらず、誰も外に出ていないという現場報告を受けました。数百人が船の中にいるということです。しかも、船は傾き続けるという危険な状況です。2分22秒間にわたり、詳しく報告を受けましたが、彼は乗客がどこにいるのかを確認せよとか、放送装備で退船命令を下せよといった指示を全く出しませんでした。
緊迫しながらも具体的な現場状況の報告を携帯電話で聞いたのに、なぜ人命救助を指示しなかったのでしょうか。2014年7月、監査院の調査で、彼は「状況指揮をするほどの位置にいない私が、独断で直接(123艇に)指示するわけにはいかないと思った」と主張しました。その代わり、9時40分にイ・チュンジェ警備局長にキム・ギョンイル艇長の最初の報告内容を伝えたそうです。それ以降、イ・チュンジェ警備局長は、文字状況報告システムで「現場の状況判断、船長との電話、ライフラフト(救命いかだ)などを利用した脱出勧告を行うべき」(9時44分)、「ライフジャケット(救命胴衣)を着て甲板上に集結措置」(9時55分)と指示します。しかし、123艇には文字状況報告システムが設置されておらず、このような指示を確認できませんでした。事故発生1時間近く、海洋警察首脳部は現場出動の警備艇の通信装備も十分に把握していなかったのです。
海洋警察が退船命令を下せる絶好のチャンスは9時23分にも訪れました。このチャンスを逃したのはユ・ヨンシク西海庁状況担当官です。9時5分から9時35分まで30分間、セウォル号と交信していた珍島(チンド)海上交通管制システム(VTS)は9時23分に「セウォル号から乗客を脱出させるかどうかを尋ねているが、どうすべきか」と聞かれました。ユ・ヨンシク状況担当官は、「退船命令を下すかどうかは、船長自ら判断すべきだ」と答えます。現場の状況を詳しく調べようともせず、救助の責任を船長に押し付けたのです。結局、10時30分にセウォル号が転覆して沈没するまで、海洋警察の救助勢力(警備艇とヘリ)は「乗客は船から脱出せよ」という指示を出しませんでした。
セウォル号の船内に1人も入らず、退船命令を一度も出していない海洋警察が、「一人でも多く救助するために」傾けたという渾身の努力が何なのか、気になります。被告人として法廷に立つその日、キム・ソクキュン元庁長に詳しく聞かせてもらいたいです。