2014年、セウォル号惨事当時の救助失敗の責任を問い、救助実務者であるキム・ギョンイル木浦(モッポ)海洋警察庁123艇長だけを起訴した検察捜査チームが、海洋警察庁指揮部全般に対する捜査計画をたてながら、実際にはまともに調査せず、法的責任も問わなかったことが分かった。惨事5年ぶりに再構成されたセウォル号惨事特別捜査団(特捜団)が、最近海洋警察本庁を押収捜索するなど本格強制捜査に乗り出し、海洋警察の救助活動と当時の検察捜査の問題点を捜査するものと見られる。
24日、ハンギョレが確保したセウォル号捜査報告書と海洋警察指揮部の供述調書などを総合すれば、2014年セウォル号捜査チームは、惨事当時の海洋警察の救助失敗と関連して、海洋警察指揮部全般に対する調査を計画した。2014年5月29日に作成された捜査報告書は、予想被疑者として「海洋警察本庁、西海(ソヘ)海洋警察庁、木浦海洋警察署、海洋警察中央救助本部、珍島(チンド)管制センターなどに勤める、セウォル号事件申告受付、状況伝播、救助および捜索活動を担当した公務員」らを捜査対象として挙げた。5日後の6月3日、海洋警察本庁などを押収捜索するために作成した捜査報告書にも「事故初期救助に絶対的な、いわゆる“ゴールデンタイム”に海洋警察指揮部(庁長、警備安全局長)が仁川本庁状況室に定位置せず、3時間かけてヘリコプターで木浦に移動したために指揮空白を招いた」と記載した。
捜査チームは、キム・ソクキュン当時海洋警察庁長とキム・スヒョン当時西海地方海洋警察庁長をそれぞれ一度呼んで調査し、キム・ムンホン当時木浦海洋警察署長を3回参考人として呼び、調査するのに終わった。その上、検察の責任追及に彼らは苦しい釈明で終始した。「セウォル号の現在の状態を把握する必要があるにもかかわらず、何ら指示しなかった理由」を問う検察の質問に、キム・ムンホン署長は「自分が力量不足で、そこまで考えられなかった」と答えており、123艇長を現場指揮官に任命したキム・スヒョン庁長に対して検察が「(あなたが)任務調整官だったのか」と質問すると、彼は「私も任務調整官という用語をセウォル号事故の後に初めて知ったので、返答しにくい」と答えた。
海洋警察指揮部に対する捜査チームの調査は、彼らの“釈明”を聞くことで事実上終えられた。検察は、彼らの他に西海海洋警察庁の状況担当官、123艇の乗務補助員、管制センター関係者、航空救助隊員など実務者を調査したが、同年10月、現場救助責任者であるキム・ギョンイル123艇長1人を業務上過失致死の容疑で起訴することで捜査を終えた。その後、検察は翌年2月にイ・チュンジェ海洋警察本庁警備安全局長とキム・スヒョン庁長など22人に対して、所属機関長に「公務員不正事実通知文」を送り、刑事処罰ではなく懲戒を要求した。
今回の特捜団の捜査は、“龍頭蛇尾”式の捜査結果が大統領府と法務部などの外圧のためなのかを把握することに集中すると見られる。2014年6月、検察の海洋警察本庁などの押収捜索の時、ウ・ビョンウ当時大統領府民情秘書官が電話して圧力を加え、その年の7月、キム・ギョンイル艇長に対する逮捕状請求検討時は、ファン・ギョアン当時法務部長官が「業務上過失致死」容疑を外せと外圧を行使したという疑惑が提起された。民主社会のための弁護士会(民弁)のセウォル号TFチーム長のイ・ジョンイル弁護士は「海洋警察押収捜索時はもちろん、キム・ギョンイル艇長令状請求時にも、朴槿恵(パク・クネ)政府の“外圧”疑惑があった。当時の雰囲気から見て、海洋警察首脳部に対する検察の捜査はやりにくかっただろう」と話した。