セウォル号惨事の発生から2000日となった6日、市民たちが光化門(クァンファムン)広場に集まり、記憶文化祭を開き、「疲れずに、忘れない」と誓った。
4月16日の約束国民連帯(4・16連隊)と社団法人4・16セウォル号惨事家族協議会(家族協議会)は同日、ソウル光化門広場でセウォル号の惨事を記憶して政府に真相究明を求めるための「セウォル号記憶文化祭、2000日の願い」を開いた。
肌寒い天気にもかかわらず、同日の記憶文化祭には1500人余り(主催側推算)の市民が訪れた。一人で歩いた若者や三々五々集まってきた中高年の人々、親の手を握ってきた子どもたちがいた。追悼の意味で黄色い服を着た市民もいた。「安全な国に住みたい」「セーフコリア(Safe Korea)」と書かれた黄色い風船を手にした人もいた。
市民たちは「安全な国を作るのに力を添えるために、記憶文化祭にやってきた」と語った。ソ・ヘヨンさん(61)は「記憶文化祭に参加して、子どもを先に見送った方々に忘れていない人がいるということを知らせたかった」と言い、「セウォル号の惨事は、もともと抱いていた『安全な国』という信頼が崩れた事件であると同時に、韓国の多くの問題に目を向けさせた事件」と話した。ソさんはまた、「セウォル号の惨事を忘れず記憶して、それぞれの現場で安全な国をつくり、子どもたちに譲り渡したい」と語った。子どもと一緒に記憶文化祭を訪れたパク・ケミョンさん(33)は「個人的なことを口実にこれまでこのような行事に参加できなかったが、それが身と心の罪悪感として残っていた」と言い、「今回の2000日記憶文化祭には必ず来なければと思って参加することになった」と話した。パクさんは「セウォル号の惨事後、国家や政権によって国民が不合理な被害を受けてはならないという考えと、そのような状況から立ち直る意志を持つようになった」と語った。
家族協議会のチャン・フン運営委員長は「2000日前、行ってきますと言って出かけた子どもたちはまだ家に帰ってこられていない。2000日前のあの日、私たちの子どもたちは待っていた。その待っていた時間のあいだ、子どもたちはどれほど恐ろしかったか、考えただけで心臓が壊れそうだ」と語った。チャン運営委員長はさらに「子どもたちにとても会いたい。温かいご飯を食べさせてあげたい」と言い、「子どもたちは国と大人を信じて待っていたのに、命を失った。しかし、事故の責任者のうち誰がどれだけ処罰されたのか。検察はセウォル号惨事の全面再捜査を実施し、特別捜査団を設置せよ」と追及した。
「セウォル号弁護士」として知られたパク・ジュミン共に民主党議員もこの日、記憶文化祭を訪れた。パク議員は舞台に上がり「最近、真相究明ができておらず、私も大変申し訳なくもどかしい」とし、「うまくいかないからといって、歩みを止めたり、遅らせたりするわけにはいかない。互いに励まし合いながら力を出して、検察、マスコミ、司法部を正し、国も立て直そう」と呼びかけた。
同日の記憶文化祭では、歌手のチャン・ピルスン、ハックルベリー・フィン、イ・スンファンなどが追悼公演を行った。