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朴槿恵大統領府、「セウォル号」鎮静化のために法王訪韓も利用した

登録:2018-10-25 10:12 修正:2018-10-25 12:36
[朴槿恵大統領府“キャビネット文書”、扉を開く] 
法王訪問を契機に「セウォル号政局」からの抜け出しを狙った大統領府 
高僧、元老牧師…インタビューや広告計画も 
文書に登場した宗教者ら「大統領府と意思を交わしたことはない」と釈明
フランシスコ法王が2014年8月14日、京畿道城南のソウル空港から入国し、出迎えのカトリック関係者たちと挨拶を交わしている=写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 ハンギョレは24日、国会行政安全委員会所属のイ・ジェジョン共に民主党議員室が国家記録院から確保した李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)政府当時の大統領主管の首席秘書官会議、秘書室長主管の首席秘書官会議の資料など、いわゆる「キャビネット文書」を多数入手した。「キャビネット文書」とは、新政権が発足してから大統領府に放置された状態で発見された前政府の文書を指す言葉だ。ハンギョレはイ・ジェジョン議員室の力を借り、約1000件を超える文書を分類分析し、連載で報道する。

 朴槿恵(パク・クネ)政府時代、大統領府が法王訪問や宗教者を利用して、セウォル号犠牲者家族のハンガーストライキをはじめとする真相究明要求を静めようとした状況が「キャビネット文書」で明らかになった。

 ハンギョレがイ・ジェジョン共に民主党議員室を通じて入手した大統領主管の首席秘書官会議(大首秘)、および秘書室長主管の首席秘書官会議(室首秘)の資料からは、朴槿恵政府が宗教界を利用し、セウォル号真相究明の要求を静め、“日常”に切り替える試みを続けた情況が見て取れる。

 ローマ法王の韓国訪問も利用対象だった。フランシスコ法王は、セウォル号の惨事が発生して4カ月ほど経った2014年8月14日から18日まで4泊5日の日程で韓国を訪れ、セウォル号遺族に直接洗礼するなど、惨事の苦しみに共感する姿を見せた。しかし、朴槿恵政府の大統領府の考えは違った。2014年8月8日の大首秘の資料によると、「法王訪問を通じてセウォル号政局から日常に転換される契機になるよう各界の努力を要請する」という計画が書かれていた。また、この日の大首秘の文書には「法王の活動、メッセージとVIP(大統領)の比較記事、セウォル号遺族・(生存)生徒の法王との面談後、政府に批判的な推測報道などが多くなると予測」するとし、「肯定的なムード拡散と否定的な報道に対するリスク管理」の必要性を強調した。

フランシスコ法王が2014年8月16日、ソウル光化門広場で開催された「ユン・ジチュン・パウロと殉教者123人の列福ミサ」に先立ち、カーパレードの途中でセウォル号犠牲者遺族のキム・ヨンオ氏に会い手紙を渡されている=YouTubeよりキャプチャー//ハンギョレ新聞社

 「リスク管理」の方法は、これに先立つ2014年7月25日の大首秘の文書から推定することができる。この日の文書には「『彭木(ペンモク)港の遺族を日常に…』をテーマに宗教界の指導者対メディア活動」というタイトルで、宗教界の元老たちのインタビューおよび寄稿と広告日程をまとめた内容がある。

 文書には「インタビュー:○○僧侶、○○○神父→主要日刊紙(8月初め)/寄稿:○○○牧師(○○○教会)→主要日刊紙(8月初め)/広告:○○○牧師(○○○○○教会)など→東亜、国民(7.30)」などの日程と共に「政務・広報首席室などと協力し宗教界との意思疎通を強化」という内容が書かれている。ハンギョレが当時のマスコミ記事などを確認した結果、大首秘の文書に登場するある高僧は、実際8月末にセウォル号遺族のハンスト中止を訴えるインタビューを主要日刊紙に載せた。このインタビューで高僧は、与党が対話の意志がなかったと指摘しながらも、野党が当時、場外闘争に出たことを「議会民主主義」を否定したものと批判した。また、大首秘の文書の計画通りに、東亜日報と国民日報にはある元老牧師が行方不明者の捜索を中断し、セウォル号遺族のハンストを止めるよう要求する内容の広告が掲載された。

 これに対し、大首秘の文書に出ている高僧側の関係者は、ハンギョレとの電話で「大統領府と意見を交わしたことは全くなかった。普段から高僧が考えている通り、両者が問題を解き、和合しなければならないという考えからマスコミとインタビューをしただけだ。インタビューの内容もどちらか一方に偏ってはいない」と述べた。元老牧師側の関係者も、「大統領府の文書になぜそのような内容が書かれていたのか分からないが、牧師は以前から様々なテーマに対するメッセージを盛り込んだ広告を行ってきた。当時セウォル号の内容が含まれた広告も、その一つに過ぎない。大統領府と意見を交わしたことは全くなかった。牧師はセウォル号の惨事を非常に残念に思い、広告もそのような趣旨から出したものだ」と話した。

 惨事が起きて4カ月しか経っていなかった当時は、セウォル号の遺族らをはじめ多くの市民が真相究明を求めていた時期だった。「セウォル号家族対策委員会」はセウォル号真相究明のための特別法制定を要求し、2014年7月14日からソウル光化門広場で無期限ハンスト座り込みを始めた。セウォル号遺族のキム・ヨンオさんは同年8月28日までおよそ46日間ハンストし、セウォル号の惨事の真相をきちんと明らかにしてほしいと訴えた。

 しかし、大統領府は真相究明の代わりに早い収拾を願った。2014年9月19日の大首秘の文書には「セウォル号事件の収拾局面への転換の努力が必要だ」とし、「セウォル号特別法制定遅延、遺族座り込み継続など、セウォル号事件に関する国民の疲労感が高まっている状況。船体引き揚げや遺族の補償など、セウォル号事件を終わらせるムードを積極的につくり、国政運営が正常軌道に乗るよう総力」をあげなければならないとの内容が書かれていた。セウォル号の惨事の真相を明らかにしようという要求を、国政運営の妨害物として考えたのだ。

 翌年の2015年5月8日の首席秘書官会議資料には「セウォル号特別調査委員会活動の本格化に備え、外部勢力の介入遮断」が必要だとし、「6月初めから特調委活動の本格化が予想され、左派の積極的な介入の動きの中で、特調委の権限の拡大要求や、調査の方向性、期間などをめぐり政府と衝突する素地」があると書かれていた。この問題を解決するため、大統領府は「4・16連帯(セウォル号犠牲者家族や市民社会が作った団体)の核心勢力の実体公開、不法行為の厳正な対処で強硬闘争勢力と遺族の分離、調査団選抜時に批判的な人物に偏ることを防止する対策、争点事案の交渉論理を事前に点検」を計画した。セウォル号の真相究明のために構成された「4・16セウォル号惨事特別調査委員会」は、政府の調査妨害の末、2016年9月に事実上強制解散させられた。

 イ・ジェジョン議員は「セウォル号の惨事に対する自省なしに自分の安全だけを考えていた朴槿恵政権の素顔がそっくり明らかになった」とし、「宗教界まで動員して真相究明を妨害し、遺族を“日常”に追い立てようとした政府の厚顔無恥さに対し、徹底的な真相調査を続けなければならない」と述べた。

チョン・ファンボン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/867151.html韓国語原文入力:2018-10-24 22:07
訳M.C

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