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文大統領、4・3卑下は「古い理念」…憎悪乗り越え「和解の未来」を強調

登録:2018-04-04 06:03 修正:2018-04-04 07:13
文大統領の追悼の辞 
「この地に春はあるのか」という問いで始まり 
暴徒・共産主義者の汚名着せられた犠牲者と道民を慰める 
 
遺族会と警友会の条件なしの和解取り上げ強調 
「歴史直視し古い枠組みから脱却しよう」と訴える 
 
済州道民の平和・人権への熱望に言及し 
「済州の春は来ています」で締めくくる
文在寅大統領が3日、済州4.3平和公園で開かれた70周年4.3犠牲者追悼式に先立ち、行方不明者の墓に立ち寄って献花している=大統領府写真記者団//ハンギョレ新聞社

 文在寅(ムン・ジェイン)大統領の4・3犠牲者追悼の辞のキーワードは、理念を超えた和解と平和、そして人権だった。歴史の悲劇を直視しつつ、これ以上私たち同士で“色”をかぶせて反目することなく、和合に向けて進もうというメッセージだ。

 文大統領は3日、就任後初めての済州4・3犠牲者追悼式に出席し、「この地に春はあるのか」という済州島民の恨が込められた問いかけで追悼の辞を始めた。彼は「理念ということを知らず、泥棒も、乞食も、玄関の扉もなく幸せに暮らしていた罪なき良民が、理由も知らないまま虐殺された」と、4・3の悲劇を定義した。1948年4・3当時、討伐隊は「済州の海岸から5キロ以上離れた地域の通行を禁止し、これを守らなければ、理由を問わず銃殺に処する」という布告文を発表し、無数の良民を犠牲にした。

 文大統領は、解放と南北単独政府の樹立、朝鮮戦争につながる「理念の時代」に巻き込まれて犠牲になった済州島民が、むしろ先に和解した事実を言及し、国全体の和合を強調した。彼は「左と右の激しい対立が残酷な歴史の悲劇を生んだが、4・3の犠牲者たちと済州島民は理念が作った不信と憎悪を乗り越えた」として、4・3当時、討伐隊の軍警に銃傷を受けたにもかかわらず、朝鮮戦争の時、海兵隊に入隊した故オ・チャンギ氏と、両親や妻、妻の母親と妹を虐殺で失ったが、軍に志願した故キム・テセン氏の事例を挙げた。文大統領は「4・3で『赤』のレッテルを貼られた青年たちが、死を覚悟して祖国を守った」とし、「理念はただ虐殺を正当化する言い訳に過ぎなかった」と述べた。また、2013年4・3遺族会と済州警友会が条件なしで和解し、済州下貴里(ハグィリ)に護国英霊費と4・3犠牲者慰霊碑を一堂に集めた慰霊団があるという事実を取り上げ、「済州島民が始めた和解が今や全国民に広がらなければならない」と述べた。

 文大統領は、理念という基準で4・3を傷つけようとする試みを警戒した。文大統領は「未だに4・3の真実を無視する人がおり、いまだに古い理念の屈折した目で4・3を眺めるような人たちがいる。いまだに大韓民国には古い理念が作り出した憎悪と敵対の言語があふれている」とし、「私たち自ら4・3を直視し、古い理念の枠組みに閉じ込められた思考から脱しなければならない」と訴えた。洪準杓(ホン・ジュンピョ)自由韓国党代表は同日、「済州4・3の追念式が開かれる4月3日は左翼武装暴動が開始された日」と主張した。

 文大統領は、保守と進歩も、理念ではなく、「正義」をめぐって競争すべきだと強調した。彼は「もはや大韓民国は正しい保守と正しい進歩が正義をめぐって競争する国にならなければならない」と述べた。

 文大統領は4・3の真相究明と名誉回復が歴代民主政権が行ってきた延長線上にあるという点も浮き彫りにした。彼は、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の4・3真相究明特別法制定と謝罪にふれ、「その土台の上で、4・3の完全な解決に向けて突き進む」と約束した。彼は「4・3の完全なる解決こそ済州島民と国民みなが望む和解と統合、平和と人権の確固たる土台となるだろう」とし、「皆さん、済州に春が来ています」という言葉で追悼の辞を結んだ。

 文大統領はこの日、追悼の辞で「4・3」に修飾語をつけなかった。「良民虐殺」と「武装蜂起」などの主張が対立して歴史的に正確な規定が下されていない状況で、不必要な論議を呼び起こしたくないという考えが込められたものとみられる。大統領府関係者は「国会で4・3特別法改正案が可決されれば、正確な名前が付くだろう」と話した。

ソン・ヨンチョル記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/politics/bluehouse/838984.html韓国語原文入力:2018-04-03 23:05
訳H.J

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