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[フォト]“慰安婦”被害者 アン・チョムスンさんの最後の夏

登録:2018-03-31 09:07 修正:2018-03-31 19:12
30日午前10時、逝去 
残る生存者は29人
2017年8月3日、京畿道水原の自宅でキム・ドンヒ戦争と女性人権博物館副館長と談笑するアン・チョムスンさん=水原/イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社

 日本軍性奴隷制被害者のアン・チョムスンさんの訃報が30日午前10時頃伝えられた。享年90歳。

 1928年ソウルの麻浦(マポ)で生まれたアンさんは、早くに父親と死別し、未亡人の母を助けて厳しい幼少期を過ごした。14歳だった1942年、「ソウル麻浦ポクサゴルの大きい精米所前に何歳までの女たちは皆集まれ」という放送を聞いて、母親と出て行ったアンさん。米を量る秤に順に上がって、歳は幼いが体重があるという理由でトラックに乗せられた。その周辺に立っていた銃を構えた日本の軍人と朝鮮の人々、トラックに掴まってなぜ私の娘を連れて行くのかと泣き叫んだ母親をアンさんは長い間覚えていた。

 汽車で平壌(ピョンヤン)、北京を経て、「山もなく砂だけが見える所」に連れて行かれ、苦難に遭ったアンさんは、戦争が終わった後に故郷に帰ってきた。モチ蒸し器を頭にのせて娘が帰ってくるよう祈りながら売り歩いた母。その母と劇的に対面したが、その後アンさんの人生は寂しかった。(韓国挺身隊問題対策協議会アン・チョムスンさん弔問譜参考)

 生涯独身で生きてきたアン・チョムスンさんは、姪の助けで世の中に存在を知らせた後、水曜集会やアジア連帯会議などさまざまな活動に参加し、活発に日本軍性奴隷制問題の解決のために働いた。

 「悪いことをした奴らが自ら反省すべきなのに…」生前に繰り返し話したアン・チョムスンさんの言葉と共に、2018年8月水原(スウォン)のご自宅でしばらく一緒に過ごしたアンさんの最後の夏を思い出す。その夏の明るい微笑のように、苦しまず安らかにお眠りください。

アン・チョムスンさんが昨年8月3日、京畿道水原市の自宅で、門までお客さんを見送りに出てきて、手をあげて挨拶している=水原/イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社
アン・チョムスンさんが京畿道水原市の自宅の居間で笑顔でキム・ドンヒ戦争と女性人権博物館副館長を迎えている=水原/イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社
アン・チョムスンさんの水原の自宅に、おばあさんの若い時期の写真が置かれている=水原/イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社
移動が不自由なおばあさんのために、さほど大切でない日用品はほとんど手を伸ばせば届く範囲の床に集められている。底に置かれた鏡にアン・チョムスンさんの顔が映っている=水原/イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社
きれいに飾った手をそろえて、キム・ドンヒ戦争と女性人権博物館副館長と談笑するアン・チョムスンさん=水原/イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社
アン・チョムスンさんの最後の夏。小さな庭には草木が多い=水原/イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社
2017年5月6日、京畿道広州市のナヌムの家で開かれた孝道祭に参加したアン・チョムスンさんが、孝行写真の撮影中に明るく笑っている=広州/イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社
イ・ジョンア記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/women/838414.html韓国語原文入力:2018-03-30 15:51
訳J.S

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