日本軍性奴隷制被害者のアン・チョムスンさんの訃報が30日午前10時頃伝えられた。享年90歳。
1928年ソウルの麻浦(マポ)で生まれたアンさんは、早くに父親と死別し、未亡人の母を助けて厳しい幼少期を過ごした。14歳だった1942年、「ソウル麻浦ポクサゴルの大きい精米所前に何歳までの女たちは皆集まれ」という放送を聞いて、母親と出て行ったアンさん。米を量る秤に順に上がって、歳は幼いが体重があるという理由でトラックに乗せられた。その周辺に立っていた銃を構えた日本の軍人と朝鮮の人々、トラックに掴まってなぜ私の娘を連れて行くのかと泣き叫んだ母親をアンさんは長い間覚えていた。
汽車で平壌(ピョンヤン)、北京を経て、「山もなく砂だけが見える所」に連れて行かれ、苦難に遭ったアンさんは、戦争が終わった後に故郷に帰ってきた。モチ蒸し器を頭にのせて娘が帰ってくるよう祈りながら売り歩いた母。その母と劇的に対面したが、その後アンさんの人生は寂しかった。(韓国挺身隊問題対策協議会アン・チョムスンさん弔問譜参考)
生涯独身で生きてきたアン・チョムスンさんは、姪の助けで世の中に存在を知らせた後、水曜集会やアジア連帯会議などさまざまな活動に参加し、活発に日本軍性奴隷制問題の解決のために働いた。
「悪いことをした奴らが自ら反省すべきなのに…」生前に繰り返し話したアン・チョムスンさんの言葉と共に、2018年8月水原(スウォン)のご自宅でしばらく一緒に過ごしたアンさんの最後の夏を思い出す。その夏の明るい微笑のように、苦しまず安らかにお眠りください。