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銃撃受けながらJSAを越え南側に渡った北朝鮮兵士、「命には別条ない」

登録:2017-11-14 07:34 修正:2017-11-14 14:21
昨日、板門店の北朝鮮軍詰め所から 
南側の「自由の家」に渡り 
北朝鮮が撃った銃弾に撃たれて倒れ 
警戒兵たち近づき安全な場所に移動
京畿道坡州の板門店共同警備区域(JSA)=資料写真//ハンギョレ新聞社

 下級兵士と推定される北朝鮮軍の1人が13日午後、銃撃を受けながら板門店(パンムンジョム)共同警備区域(JSA)を通じて南に渡った。

 合同参謀本部はこの日、「北朝鮮兵士1人が板門店の共同警備区域の北朝鮮側にある板門閣前方に位置した北朝鮮軍詰め所から『自由の家』の方へ帰順した」とし、「同兵士は帰順の過程で北朝鮮軍の銃撃を受けて肘や肩などを負傷し、国連軍司令部のヘリコプターを利用して後方に緊急搬送された」と明らかにした。同兵士は京畿道水原(スウォン)の亜洲大学病院重症外傷センターに移送され、センター長のイ・グクジョン教授の治療を受けた。イ教授は「アデン湾黎明作戦」当時、海賊によって全身に銃傷を負ったソク・ヘギュン船長を救った外傷治療専門家だ。同兵士は命に別状はないというが、全快するかどうかは治療経過を見守らなければわからないと見られる。イ教授は「手術を続けると患者が体力的に持ちこたえられないと判断し、この日は手術を終えた」とし、「患者の命に別状はないが、今後2回、3回目の手術が必要だ」と話した。

京畿道坡州の板門店共同警備区域(JSA)//ハンギョレ新聞社

 韓国軍詰め所の警戒兵たちは同日午後3時31分頃、北朝鮮側詰め所で数発の銃声が鳴ると非常体制に入り、北朝鮮兵士が越境して軍事境界線から南に50メートル離れた空き地に倒れた状況まで観察したという。韓国警戒兵らは同兵士に匍匐などの低い姿勢で接近し、午後3時56分に自由の家の裏の安全な場所に連れてきた。軍当局者は「我が警戒兵たちが同北朝鮮兵士を連れてくる間、北朝鮮軍からは何の反応もなかった。南北間で交戦はなかった」と話した。

 北朝鮮軍兵士は帰順当時、北朝鮮下級兵士の軍服を着ており、非武装状態だった。軍当局はこの兵士に対する治療が終わり次第、氏名、階級など身元と南側に越えてきた動機・経緯について調査を行う計画だ。同兵士は北朝鮮軍詰め所から飛び出したと推定されるが、軍関係者は「現場の状況を撮った監視カメラ(CCTV)と本人の供述などを総合的に分析した後、明らかにすることができる」と話した。

 北朝鮮軍が軍事境界線を越えて南側に逃げてきた事例は毎年発生するが、板門店共同警備区域を通じて越南するケースは多くない。1967年3月、北朝鮮「朝鮮中央通信」の副社長だったイ・スグンが南北軍事停戦委員会取材のため板門店に来て、北朝鮮警備兵の銃撃を突き抜けて南側へ渡ってきたことがある。また、1998年2月には北朝鮮軍ビョン・ヨングァン大尉が板門店共同警備区域から帰順した。国防部関係者は「2007年9月にも北朝鮮軍兵士が板門店に渡ってきたことがあるが、メディアには公開されなかった」とし、「板門店を通じた帰順は10年ぶり」だと話した。

パク・ビョンス先任記者、聯合ニュース(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/818871.html 韓国語原文入力:2017-11-14 01:42
訳M.C(1378字)

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