1980年5・18民主化運動(光州事件)を鎮圧した新軍部が、ヘリから機関銃で集中射撃(機銃掃射)を行ったものとみられる弾痕が発見された。ヘリからの機銃掃射の可能性を推定できる根拠が見つかったのは今回が初めてだ。ヘリから機関銃で連続で発射する機銃掃射は、戒厳軍が民主化を要求する光州(クァンジュ)市民を敵と規定し、無差別に暴力を行使していたことを示す重要な根拠だ。様々な障害物を利用し、銃弾を避けることができる地上射撃に比べ、空中で連続発射するヘリ機銃掃射は銃弾から身を隠すことが難しく、殺傷力がはるかに高いからだ。
国立科学捜査研究院のキム・ドンファン銃器安全室長は19日、光州の錦南路(クムナムロ)にある全一ビル10階の旧映像DB事業部の中から発見された150個の弾痕を分析した結果、ヘリから機銃掃射が行われた可能性があると明らかにした。キム室長は同日、「10階内部の壁と床、天井テックス部分に残された150個の弾痕が扇状に広がっている」とし、「ヘリから小銃で射撃をしたなら、あのような弾痕は残らない」と述べた。さらに、「M16は20発または30発の弾倉を利用するため、150個の弾痕が残るには、2人が射撃しなければならない。そうなると扇状のような一定の形になるのは難しく、(弾痕が)重なる場合もある。このような情況からして、ヘリコプターの窓に装備した機関銃を使用したものと推定される」と説明した。
キム室長のこうした発言は、5・18民主化運動の際、ヘリの機銃掃射の可能性を政府機関として初めて認めたものだ。機銃掃射の可否はこれまで軍が強く否定しており、1995・96年の検察の捜査でも明らかにならなかった。
全一ビルは1980年の5・18民主化運動当時、市民軍指揮所だった旧全羅南道庁近くの10階建ての建物で、この建物の屋上は1980年5月27日、市民たちが最後まで抵抗した場所の一つだ。全一ビル10階は旧「全日放送」のDB室(76平方メートル)で、全一放送が新軍部によって強制的に廃業されてから、そのまま残され、修理も行われていない状態だった。
昨年9月から光州市の依頼で4回にわたって行われた国立科学捜査研究院による精密調査で、建物の内外でヘリコプター射撃と推定される弾痕が合わせて193個発見された。キム室長は「ヘリから全一ビル10階の空間を集中射撃したなら、弾丸や弾丸の残骸が残っているものと見て調査を進めたが、残念ながら発見できなかった」とし、「鉄の構造物などに遮られる構造であるため、弾丸など残骸が残されているはずだが、この空間に初めて入った時、天井が壊れた状態だった。天井テックスを取り除く際、弾丸など残骸が消失した可能性が高い」と述べた。
これと共に5・18民主化運動当時、市民軍と戒厳軍の交戦を確認できる弾痕17個が初めて発見された。国立科学捜査研究は、「全一ビル2~4階の後ろの外壁から発見された17個の弾痕のうち、12~13個は形からしてカービン小銃の弾痕と推定される」と明らかにした。これは全一ビルと路地を挟んで隣に立っている光州YWCA(3階)にいた市民たちが80年5月27日未明、戒厳軍の鎮圧に対抗して銃撃戦を繰り広げたことで生じた弾痕とみられる。キム室長は「M16小銃やM60機関銃の弾丸は前が尖っており、コンクリートの壁に当たれば、壁面に釘状の跡が残るが、(市民軍が所持していた)カービン小銃は前の部分が丸く、(壁面に)当たると丸い半円形の跡が残る」と説明した。ナ・ウィガプ光州市5・18真実究明諮問官は「5月27日、光州YWCAで抵抗した市民軍約30人が全一ビル2・3階にいた戒厳軍らと交戦し、市民軍3人が死亡した」と話した。