登録 : 2017.04.04 21:54 修正 : 2017.04.05 07:46

当時保安司、故意にでっち上げ市民を暴徒に見せ 
刑務所事件でただの1人も処罰を受けず 
刑務所前での良民虐殺、今からでも真相究明を 
ある研究者「全斗煥回顧録も歪曲された軍報告のため」

5・18民主化運動当時、米国政府と全斗換新軍部の間で行き交った秘密通信記録「チェロキーファイル」を暴露した米国人記者のティム・シャーロック氏(右から2番目)が4日午前、光州東区5・18民主化運動記録館でユン・チャンヒョン光州市長(左から2番目)とともに記者会見を開き、機密文書研究計画を明らかにしている/聯合ニュース
 80年5月の(光州)5・18民主化運動を“暴動”に追い立てるために、新軍部が意図的に「光州(クァンジュ)刑務所襲撃事件」をでっち上げたという指摘が出ている。最近全斗煥(チョン・ドゥファン)氏が『全斗煥回顧録』を通じて「5・18事態は“暴動”という以外には表現のしようがない」と大声を上げる背景には、「国家施設である刑務所奪取計画があった」という虚偽の軍報告がある。

 軍記録などによれば、80年5月21~23日に光州市北区の光州刑務所周辺で市民軍と戒厳軍の間に5~7回にわたる銃撃戦があったとされている。新軍部側は「刑務所を攻撃して思想犯を含む2700人あまりの罪人を脱出させ、デモの群衆と結集させデモを一層激化させようとした」と主張してきた。その根拠として、5月21日午後5時20分頃、当時光州刑務所近隣のガソリンスタンドで高速バスに乗った武装デモ隊が、空輸部隊員1人を銃撃し負傷させるなど、市民軍と散発的な衝突が起きたと主張した。5月22日、イ・ヨンチュン氏(当時26)ら3人も「機関銃射撃」をしながら刑務所に接近し死亡したということだ。

 だが、新軍部が主張した「刑務所襲撃事件」はでっち上げだという指摘が出ている。 第一に、軍の主張とは異なり80年当時「刑務所を襲撃した容疑」で起訴されたり処罰を受けた光州市民はひとりもいない。80年5月23日「消防車に搭乗した武装デモ隊数名と交戦の末に4人を逮捕した」と発表された事件の当事者シム・ヨンウイ氏(59・大学講師)も「でっち上げ事件」の被害者だ。彼は当時保安司が作成した刑務所襲撃事犯の1人として出てくる。シム氏は「消防車に乗った5人のうち4人が非武装状態で、銃一丁にも実弾はなかった」として「軍人が『刑務所奪取犯という事実を自白しろ』として、気絶するまで暴行した」と回顧した。シム氏は調査の過程で刑務所襲撃事犯ではないという事実が立証され108日ぶりに起訴猶予で解放された。

 当時、保安司は光州市民が空輸部隊の蛮行に抵抗した行為を“暴動”に追い立てようと刑務所付近で発生した衝突を「襲撃事件」にでっち上げた可能性が高い。国防部過去事真相究明委員会が出した「12・12および5・18国防部報告書」(118ページ)によれば、合同捜査本部は当時リュ・ヨンソン氏(当時27・会社員)が刑務所に収監されていた親族の故リュ・ナクチン氏を救うために80年5月23日に刑務所を襲撃したとでっち上げた。光州刑務所で服役中のリュ・ナクチン氏(当時52・無期囚)の妻が義理の弟のリュ・ヨンソン氏に夫を救出するよう扇動し、デモの群衆と共に刑務所を襲撃し、銃に撃たれて死亡したというのが軍保安隊の報告内容だ。

 だが、リュ・ヨンソン氏は80年5月21日、旧全羅南道庁前の戒厳軍発砲の時、頭に貫通傷を負い、キリスト病院に意識不明状態で搬送されて死亡していた。ところが80年5月27日にYWCAで死亡したという検死記録になっているのは、収拾対策委員会がキリスト病院で遺体引取証を書いてリュ・ヨンソン氏の遺体を運んだために生まれた誤解と見られる。リュ・ヨンソン氏が刑務所襲撃事件にかかわったという主張は、光州刑務所や第三空輸旅団の報告文書などには出てこないのに、唯一保安司の文書だけに出てくる。 国防部過去事委員会は「合同捜査本部がリュ・ヨンソン氏の事例を『不純分子の扇動にともなう暴徒の襲撃を撃退した』とねつ造した」と判断した。

 全斗煥国軍保安司令官兼合同捜査本部長、イ・ヒソン戒厳司令官、チュ・ヨンボク国防部長官、チョン・ホヨン特戦司令官の5人は、大法院(最高裁)判決で内乱目的殺人罪を適用され、適示された主な犯罪は、80年5月27日光州再進入作戦時に17人を殺傷したことに限定された。5・18研究者は「刑務所を1級国家保安施設と見て、第三空輸大隊長の虚偽陳述のみを認容し、事実上刑務所襲撃事件を裁判所が認めた格好になっている」と指摘した。

 当時、光州刑務所近隣を通り空輸部隊のために犠牲になった人々は、まだ「暴徒」の寃罪を着せられている。朴槿恵(パク・クネ)-チェ・スンシル国政壟断事態を暴露したコ・ヨンテ氏の父親コ・キュソク氏も、1980年5月21日午後7時頃、旧光州刑務所前を通り戒厳軍の発砲で亡くなった。生存者イ・スンウル氏は「耕うん機の付属品と壁紙を買いに行き、帰ってきたところ突然銃撃された」と証言したことがある。5月22日午前、第三空輸旅団は5歳の娘と一緒に帰宅していたキム・ソンス氏夫婦にも銃撃を浴びせた。 キム氏の夫人は銃に撃たれた後遺症で死亡し、娘のキム・ネヒャンさんは1988年、国会光州聴聞会で車椅子に乗って当時の惨状を証言したことがある。

 ある5・18研究者は「全斗煥氏が回顧録で『故意的な過剰鎮圧はなかった』として虐殺行為を否定している根拠の一つも、こうした歪曲された軍報告資料のためだ」として「刑務所襲撃事件の真相が明らかになってこそ、5・18抗争期間中の良民虐殺に対する歴史的処罰が終わる。新政府が樹立された後、刑務所襲撃事件の真相を明らかにしなければならない」と語った。

光州/チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2017-04-04 17:50
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/789297.html 訳J.S(2352字)

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