セウォル号惨事から3周年を迎えた16日、全羅南道木浦(モクポ)新港は追悼の波で黄色く染まった。追悼客らは未収拾者9人の完全な帰還を祈願し、安全な国をつくるための怒り・行動・記憶・連帯・愛を誓った。
セウォル号が据え置かれている木浦新港ではこの日、追慕式の代わりに祈願式が行われた。犠牲者を追悼するのに先立ち、まだ帰れていない子どもたちを探すことに焦点を当ててほしいという意見により行事の基調を変えた。
この日、木浦新港には全国各地から1万人あまりが訪れ、柵に黄色いリボンを結び、チョ・ウンファさん、ホ・ダユンさんなど未収拾者9人の迅速で完全な帰還を願った。追悼客らは、捜索を控えて高さ26メートルの作業用欄干を設置中である埠頭内のセウォル号を遠くに眺めながらため息をついた。一部は未収拾者家族を抱きしめながら慰労した。ソウル、木浦などから駆けつけた社会団体は1000人分のジャージャー麺を提供し、飲み物を配るなど、ボランティア活動を行った。
カトリック光州(クァンジュ)大司教区は、この日午後3時、木浦新港の向かいの公園で未収拾者らが家族のもとに帰ることを祈願するミサをささげた。司祭と信者5000人余りは、未収拾者の完全な収拾との疑惑のない真相究明を切実に祈願した。ミサを執り行ったキム・ヒジュン大主教は「今日は復活祭ですが、セウォル号のためのミサを代わりにささげる。いまやセウォル号が復活する番だ。真実と正義のために一つとなった私たちの心がセウォル号の痛みを乗り越え、すべての生命が尊重され安全に守られる国に生まれ変わるようにする」と話した。
光州地域の市民団体もこの日午後3時、木浦新港で記憶し決議する集会を開いた。彼らは集会を通じて未収拾者の完全な収拾とセウォル号の早急な真相究明を要求した。また、セウォル号処理に消極的だった黄教安(ファン・ギョアン)大統領権限代行と海洋水産部を糾弾した。
これに先立ち、木浦地域の17の中学・高校の生徒約400人はこの日午前11時、木浦新港の前で記憶式を開いた。彼らは追悼曲「千の風になって」と「真実は沈没しない」を合唱し、「忘れません。最後まで共にします」と誓った。黄色いリボンで覆われた木浦新港の正門~北門400メートル区間は、休日を迎え訪れた生徒が数多く目立った。生徒たちは制服に黄色いリボンをつけ、折り紙の花を折ったりシールを貼るなどの方法で切な思いを示した。
堤川(チェチョン)にあるガンジー学校に通うチャ・ミンギョンさん(17・高2)は「セウォル号が目的地の済州島に行けず、木浦に誰も乗せないまま戻ってくるのに3年がかかった」と胸を痛めていた。木浦の恵仁女子高のパク・ソユンさん(18・高3)は「受験生だが、3年前がしきりに思い出されてここへ来た。セウォル号を見て胸が詰まる思い」だと話した。木浦の弘一高校のイ・インソン君(17・高2)は「惨事のときの写真を見るたびに胸がずしんとする。何か力になりたい」と伝えた。霊岩女子高のキム・ヨンソさん(17・高2)さんは「全校生徒500人余りが親指で判を押して作った黄色いリボンのパネルを持ってきた。家族たちを慰めになればと思う」と願った。
家族連れで訪れた人々も多かった。親は子どもたちの手を握って黄色い道を歩きながら、続けざまに辛そうに舌を鳴らした。光州から来たチョン・ジウンちゃん(5)は母親と一緒に拙い字で「早く帰ってきてね、待ってます」というメッセージを柵に残した。
社団法人「キム・ジェドンと仲間たち」もこの日午前、チョン・ホスン詩人の詩「花が散るとてあなたを忘れたことはない」を朗読するなど、待ちわびる気持ちを表現した。
セウォル号惨事の珍島(チンド)郡民対策委員会はこの日午前10時、彭木(ペンモク)港焼香所の前で住民約1000人が参加したセウォル号の3周年追悼式を行った。彼らは大田(テジョン)のクムビ芸術団の鎮魂の舞と珍島シッキムクッ(死者への巫祭)保存会による儀式で犠牲者の魂を鎮めた後、黄色い風船304個を空に飛ばした。壇園高のダユンさんの父親のホ・フンファンさんは「3年間、未収拾者家族を暖かく見守ってくれて感謝する。しかしまだ終わってないのでダユンが手をつないでまた帰って来るまで応援してほしい」と呼びかけた。珍島仏教寺庵連合会、円仏教光州全羅南道教区は、3年間未収拾者たちを待つ空間だった彭木港の防波堤で追悼法会や追悼行事を開いた。