登録 : 2017.04.03 23:17 修正 : 2017.04.07 07:34

全斗煥氏、空輸部隊が発砲した日に国防部会出席 
新軍部発刊「5共前史」と会議参席者が一致 
全氏「発砲命令は存在しない」回顧録で主張

 1980年5月、光州(クァンジュ)抗争当時に全斗煥氏が自衛権の発動(発砲)など武力鎮圧に直接関与したという軍の内部記録が出てきた。全氏は3日に出版した『全斗煥回顧録』で「私は光州事態の治癒・慰撫のための儀式のお供え」、「戒厳軍発砲命令は存在しなかった」と主張した。
1980年5月、2軍司令部が作成した5・18民主化運動関連文書。機務司が保管していたもので国防部過去事委員会に提出されたこの文書は全斗煥が自衛権発動(発砲命令)に関与した発言を含んでいる//ハンギョレ新聞社
上写真の右上部分を拡大した文書には「全閣下:乱動時に軍人服務規律に基づいて自衛権発動強調」と手書きで書かれている//ハンギョレ新聞社

 ハンギョレがこの日確保した陸軍第2軍司令部(嶺湖南<ヨンホナム>・忠清<チュンチョン>地域管轄)の「光州圏忠正作戦間軍指示および措置事項」を見れば、5・18民主化運動当時に軍の自衛権発動を決めた国防部会議と関連して手書きで「長官、総長、軍司令官、合同捜査本部長、首都警備指令官、特戦司令官、陸士校長(車)」と記されている。この文書は80年5月に2軍司令部が作成した文書を機務司が保管し国防部過去事委員会に提出された。この文書には「全閣下:乱動時に軍人服務規律に基づいて自衛権発動強調」と明示されている。

 この文書に手書きで書かれた当時の状況から見て「全閣下」は全斗煥氏を指すと見られる。2軍司令部の文書に出てきた国防部会議の参席者は『5共前史』(第5共和国前史)に出てきた参席者名簿と一致する。『5共前史』は1979年12月12日から第5共和国発足まで新軍部側が自分たちの業績などを叙述し出版した9巻の非公開記録物だ。『5共前史』を見れば、自衛権保有の闡明を決めた5月21日の国防部会議には「(周永福)長官をはじめ合同参謀議長のユ・ビョンヒョン将軍、合同捜査本部長兼保安司令官の全斗煥将軍、首都警備指令官の盧泰愚将軍、陸軍士官学校校長の車圭憲(チャ・ギュホン)将軍、特戦司令官チョン・ホヨン将軍らが参加した。12・12および5・18裁判の裁判所記録によれば、この国防部会議は80年5月21日午後4時35分に開かれた。この日は光州市錦南路(クムナムノ)で市民に集団発砲が強行された日だ。国防部過去事委員会(2007年)は「この手書き文字で言及された名簿が『5共前史』の名簿と同じことから見て、おそらく1981~82年『5共前史』の作成過程で資料取り扱い者が手で記録したものと判断される」と明らかにしたことがある。

 だが『5共前史』には「自衛権発動関連言及者」を手書きで記された「全閣下」ではなくイ・ヒソン戒厳司令官に変えて記録された。クーデターに加担した新軍部の核心300人あまりにインタビューして『5共前史』を書いた人々は、これを確認しようとする国防部過去事委の面談要請を拒否した。「全閣下」が全斗煥氏であることが確認されれば5・18武力鎮圧の直接当事者という重要な根拠になるためと見える。

 このために5・18発砲命令を巡る疑惑を今後再調査しなければならないという指摘が出ている。全氏は回顧録の序文で「光州で良民に対する国軍の意図的で無差別的な殺傷行為は起きなかったし、何よりも“発砲命令”はもともと存在しなかった」と否定した。全氏の内乱罪などを扱った1996年1審裁判所は、全氏に対して「戒厳軍に光州周辺を封じ込めて自衛権発動という名目で発砲させ、死傷者が発生しても早く鎮圧することを共謀した容疑」を認めたが、控訴審で「自衛権の部分」は抜け落ちた。5・18研究者は「新政府が樹立されたら5・18発砲命令者を明らかにするために真相究明次元の再調査が必要だ」と話した。

光州/チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2017-04-03 21:10
http://www.hani.co.kr/arti/society/area/789147.html 訳J.S(1626字)
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