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過去大統領の司法処理は…全斗煥・盧泰愚、拘束2年後に特別赦免

登録:2017-03-11 08:11 修正:2017-03-11 10:16
元大統領、司法処理はどうなったか 
1995年に反乱・内乱・秘密資金の疑いで拘束 
無期・懲役12年…金泳三政権で特別赦免
1996年8月26日、囚人服を着て判決公判を待っている両元大統領、全斗煥と盧泰愚=写真・共同取材団//ハンギョレ新聞社

 憲法裁判所が10日、朴槿恵(パク・クネ)大統領の罷免を決定し、賄賂容疑の被疑者の身分である朴大統領の司法処理過程に関心が集まっている。全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)両元大統領の事例を参考にすることができる。

 全・盧両元大統領に対する捜査は、金泳三(キム・ヨンサム)政権当時の1995年10月19日、当時民主党のパク・ケドン議員が「盧泰愚秘密資金」を含んだ銀行預金口座照会表を暴露したことで始まった。検察は、暴露翌日に特別捜査本部を設置し、彼らに対する捜査に着手した。

 検察の捜査は最初に秘密資金に対するものに限定されたが、「12・12事態(軍反乱)と5・18内乱(光州事態)」についても処罰しなければならないという国民世論が高まり、国会が「憲政秩序破壊犯罪の公訴時効などに関する特例法」を制定し、検察は刑法上内乱罪についても捜査を拡大した。

 盧元大統領は1995年11月16日拘束された。しかし、全元大統領は同年12月3日、延喜洞(ヨンヒドン)の自宅の路地で、金泳三政権を攻撃する声明書を朗読した後、慶尚南道陜川(ハプチョン)で逮捕され、安養(アンヤン)刑務所に収監された。検察は1995年12月21日、両元大統領を軍刑法上反乱首謀などの容疑で起訴し、続いて5・18内乱事件についても1996年1月3日に追起訴して裁判にかけた。彼らはソウル中央地裁に国会が急きょ制定した特別法に対し違憲審判を請求したが、憲法裁判所は1996年2月16日、これを棄却した。彼らに対する最初の裁判は1996年2月26日、ソウル中央地裁刑事30部(裁判長キム・ヨンイル)の審理で、417号大法廷で開かれた。偶然にも現在「チェ・スンシル国政壟断事件裁判」を行っているところだ。裁判はその後、秘密資金事件の公判を含めて1996年8月1日まで計33回開かれ、同年8月26日の1審裁判部は全元大統領には死刑と追徴金2259億5000万ウォン(約223億円)を、盧元大統領には懲役22年6カ月と追徴金2838億9600万ウォン(約281億円)を言い渡した。最高裁判所は翌年4月、2審裁判部が判決した通り、「全斗煥を無期、盧泰愚を懲役12年」と確定したが、金泳三元大統領は1997年12月、彼らをいずれも特別赦免した。

ホ・ジェヒョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/786050.html 韓国語原文入力:2017-03-10 20:56
訳M.C(1228字)

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