Kさん(86)とYさん(81)夫婦は、ハンセン人(ハンセン氏病回復者)療養所だった慶尚北道漆谷(チルゴク)の国立愛生園(現、国立漆谷病院)で療養している間の1962年に子供ができた。しかし、愛生園は祝いの代わりに「子供を産んで一緒に暮らすことはできない。ここで暮らすなら流産させて断種(精管)手術をしなければならない」という話を伝えた。結局、Yさんは堕胎手術を受け、4カ月後にKさんも断種手術を受けなければならなかった。ハンセン氏病に対する誤った認識と偏見のせいで、日帝時期から続いた隔離収容、強制断種・堕胎などの人権侵害が解放後にも永く続いた。
Yさん夫婦のようなハンセン人に対して強制的に堕胎・断種手術を行った国家の責任を認める大法院(最高裁)判決が初めて下された。2011年から続けられてきたハンセン人539人の集団訴訟のうち、5年ぶりに出てきた初の確定判決だ。
大法院3部(主審クォン・スンイル大法官)は15日、キム氏など19人が大韓民国を相手に提起した損害賠償訴訟で、堕胎手術をされたハンセン人10人には各4000万ウォン(約400万円)、断種手術をされたハンセン人9人には3000万ウォン(約300万円)とその利子を支払えと宣告した原審を確定した。大法院は「ハンセン人に対して行った精管切除手術と妊娠中絶手術は、幸福を追求する権利、人間としての尊厳と価値、人格権および自己決定権、内密な私生活の秘密などを侵害し、または制限する行為」とし、「法律上の根拠がなく、たとえハンセン人が同意したとしても社会的偏見、差別、劣悪な社会・教育・経済的条件などによりやむを得ず同意したと見られ、大韓民国は国家賠償責任を負担することが正しい」と明らかにした。
ハンセン人の代表的な人権侵害の一つである断種・堕胎強制手術は、1935年から1990年前後まで続いた。ハンセン氏病は1900年代初めにはすでに遺伝病でないことが明らかになり、1950年代からは完治可能な疾病と認識されたが、病気にかかれば容貌に変形が生じるせいで特に社会的差別と偏見が激しかった。社会的少数者の差別を防ぐべき国家さえもが「病気が遺伝する」という誤った偏見に捕われ続け、解放後にも日帝時期同様に断種・堕胎手術の慣行を継続した。ハンセン人は家庭を設け子供を育てる幸福追及権を強制的に剥奪され、羞恥と罪の意識を感じなければならなかったし、見守る子供も持てずに孤独で寂しい老後を送らなければならなかった。日本が2006年から日帝時期に小鹿島(ソロクド)などに強制収容されたハンセン人補償を始めると、韓国は一歩遅れて2007年に「ハンセン人被害事件の真相究明および被害者生活支援等に関する法律」を制定し、2012年から補償を始めたが基礎生活受給者など一部のハンセン人にのみ月額15万ウォン(約1万5千円)を支給するだけだった。これに対してハンセン人は、日本政府を相手に責任を問う訴訟に参加したハンセン人権弁護団と共に、2011年10月に韓国政府を相手に損害賠償訴訟を提起した。
大法院の初めての判決が下されたが、まだ約520人のハンセン人が大法院の判断を待っている。彼らの下級審はすべて国家責任を認めたが、損害賠償額で判断が交錯した。今回の大法院判決の原審である光州(クァンジュ)高裁は、堕胎手術をされたハンセン人には4000万ウォン、断種手術をされたハンセン人には3000万ウォンとその利子を賠償するよう判断した。しかし、昨年9月ソウル高裁民事30部(裁判長カン・ヨンス)は、「男女平等」の原則と国家の努力を前面に掲げ賠償額を2000万ウォンに削減し、以後のソウル高裁判決3件もこれに倣った。ハンセン人権弁護団長のパク・ヨンニプ弁護士(法務法人ファウ)は「司法府が遅くなったとはいえ日帝強制占領期間と解放後に苦痛にあったハンセン人の涙をふいてくれて良かった」としつつも「3~4000万ウォンという金額も、その苦痛に比較すれば多額とは言えないだけに、大法院が同じ状況の残る4件についても今回の賠償基準に合わせて判決しなければならない」と話した。