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強制堕胎があった小鹿島で韓国のハンセン病患者「憤りの証言」

登録:2016-06-21 01:27 修正:2016-06-21 07:00
堕胎手術行われた小鹿島の病院別館で 
国に対する損害賠償訴訟で訪問裁判が実現
20日、全羅南道・小鹿島の国立小鹿島病院でハンセン病患者が経験した断種・堕胎手術の証言を聞く高裁の「特別裁判」が開かれ、裁判官が現場検証の途中で萬霊堂で黙祷している=共同取材写真//ハンギョレ新聞社

「麻酔もされず」「仕方なかったと言わないで」
証人として出席した被害者たちの憤り
当時の医師「過去の基準は今とは異なる」
裁判所、ハンセン病患者の解剖室・監禁室も訪問

 小鹿島(ソロクド)の空から小雨が舞い降りていた。多くの傷痕が残されている小鹿島を包み込むように慰めていた雲霧は、晴れ間がさしてからもしばらく沖合を彷徨っていた。小鹿島の海の水はハンセン病患者が流した涙で、吹きつける風はハンセン病患者のため息だと、ここの住民たちは言う。

 ソウル高裁民事30部(裁判長カン・ヨンス)が国に対しハンセン病患者たちが起こした損害賠償訴訟の特別裁判を開いた20日、全羅南道高興(コフン)郡の国立小鹿島病院別館2階小会議室は、ハンセン病患者の涙と風を吹き込む空間となった。司法関係者がハンセン病患者の人権侵害の現場を確認するために小鹿島を訪れたのは、小鹿島病院開院から100年間で初めてのことだ。

 「原告代理人、刺激的な部分は早めに進めてください」。カン・ヨンス裁判長がハンセン病患者側の弁護を担当しているチョ・ヨンソン弁護士に言った。チョ弁護士は中絶手術でハンセン病患者に母親の体から死亡したまま取り出された胎児が、ガラスびんの中に入れられ、病院の引き出しに置かれていた写真を法廷で公開した。同病院は死亡したハンセン病患者の体から摘出した臓器なども研究用に保管していた。 1996年までに、同病院はこのように死亡した胎児を保管していたという。

20日、全羅南道高興郡の国立小鹿島病院でハンセン病患者たちが受けた断種・堕胎の実状を聞くソウル高裁の「特別裁判」が開かれ、裁判官らが現場検証をしている=キム・テヒョン記者//ハンギョレ新聞社

 ハンセン病患者約80人が傍聴席を埋め尽くした法廷には、キム・ボクジャさん(仮名、74)の証言が続くにつれ、重い沈黙がのしかかった。「病院に呼ばれていくと、服を全部脱がされ、妊娠したのかと訊かれました。補助医師は麻酔もしませんでした。1時間半の間、機械を入れて(堕胎手術を)行ったようですが、あまりにも痛くて、数日間血が出ました」。ハンセン病患者のキムさんは23歳だった1967年当時、小鹿島で堕胎させられたと証言した。キムさんなど138人は政府がハンセン病患者に堕胎・断種手術を強要するなど人権を侵害したとして、訴訟を繰り広げている。しかし、政府は「同意のもとで行われた手術だったため」違法性がないと主張している。

 被告の政府が要請したキム・イングォン麗水(ヨス)愛郷病院院長が証言台に立った。キム病院長も一時期、この小鹿島病院で働いていた。「小鹿島で子供を産むことを禁止したのは事実です。小鹿島病院の予算は、患者のためのものであって、患者の子供のためのものではありませんでした。私も仕方なく断種手術を施しましたが、患者のためでした。マリアンヌ・マーガレット修道女(小鹿島病院でハンセン病患者を世話した修道女たち)も、個人的には堕胎に反対しましたが、小鹿島の実情では必要だと感じました。今の基準で過去の善し悪しを決めるのは適切ではありません。国としては、当時は、それが最善でした」

 午後1時頃、しばらく休廷となった。法定から外に出てきたハンセン病患者たちが不満を漏らした。21歳だった1959年、小鹿島で堕胎させられたある住民(78)が声を高めた。「やりたくないなんて私たちには言えませんでした。そうしなければ小鹿島を出て行かなければならず、そうなればまともに生活できませんでした」。彼女はこの日の臨時法廷となった病院別館2階が、元々は「病院本館」と呼ばれており、堕胎手術が行われていた場所だと説明した。

 午後2時頃、カン・ヨンス裁判長と、原告側と被告側の弁護人などが病院から歩いて3分ほどの距離にある検視室の建物の前に集まった。今は使われていない赤レンガの建物は、陰湿な雰囲気が漂っていた。小鹿島の住民のイ・ナムチョルさん(67)が裁判官の前でマイクを持って説明した。「私たちハンセン病患者は3度死にます。息が切れる時に一度、解剖される時にもう一度、火葬される時に一度。ここは死体解剖室でした」。解剖は遺族の同意なしに行われたとイさんは説明した。

20日、全羅南道高興郡の国立小鹿島病院でハンセン病患者たちが受けた断種・堕胎の実状を聞くソウル高裁の「特別裁判」が開かれた。写真は手術が実施された検死室=キム・テヒョン記者//ハンギョレ新聞

 解剖室の隣は監禁室の建物だ。刑務所のように見える薄暗い小部屋にはほこりが溜まっていた。観光客のための案内標識には、「日本植民地時代の人権弾圧の象徴」と書かれていた。ところが、イさんの説明は少し異なっていた。「島から逃げ出す人が捕まったら、ここに監禁されました。 1980年代までに使われていた建物です」。カン・ヨンス裁判長などは、ハンセン病患者の遺骨を保管していた萬霊堂に足を運び、黙祷を奉げた。

 ハンセン病患者たちは現在、国に対しに5件の損害賠償訴訟を提起している。 2014年に光州地裁順天支部民事2部(裁判長ユ・ヨングン)が堕胎・断種手術を受けたハンセン病患者9人に国の損害賠償責任を認める判決を下してから、同様の判決が相次いでいる。このうち1件は大法院(最高裁判所)で、残りの4件はソウル高裁で審理が行われている。断種手術・堕胎に強制性があるかどうか、国がどこまで介入し、または傍観したのか立証できるかが争点になる見込みだ。

 国立小鹿島病院生自治会のパク・スンジュ会長は20日、ハンギョレとのインタビューで「(強制断種手術の被害に遭った)87歳の小鹿島住民が一昨日、また亡くなった。訴訟に参加した方たちが高齢のため、一日でも早く国の謝罪が行われることを願っている」と話した。

小鹿島/ホ・ジェヒョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: 2016-06-20 21:28

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/749006.html 訳H.J

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