本文に移動

民主化運動記念公園が利川に開園、敷地決定から15年ぶり

登録:2016-06-09 00:40 修正:2016-06-10 07:46
民主化運動記念公園 =キム・ギソン記者//ハンギョレ新聞社

 あの熱かった1987年6月の民主抗争を思い出しながら南に走った。中部高速道路の東ソウル出入口から43キロメートル離れた南利川交差点の出口を抜けると「民主化運動記念公園」の表示板が立っていた。

 勇壮な花こう岩の「歴史の門」をくぐると、民主化闘争の現場を覆った数十本の挽章(弔いに使われる旗)がはためき歓迎してくれた。民主化運動の現場に立った人々を四角い光の柱で形象化した「民主の門」は、民主化運動記念館につながっていた。民主烈士の献身と犠牲を垣間見ることができる記念館は「民主は人だ」を主題に構成されていた。

 展示室には冷酷な朴正煕(パクチョンヒ)、全斗煥(チョンドゥファン)軍事独裁政権に対抗した民主化運動の歴史が時代別に整理されている。民主化運動の動画と説明文の間には、独裁に抵抗し撒布された印刷物や壁新聞が陳列され、民主化闘争の現場を生き生きと伝える。展示室内には1970年代の政経癒着の陰で苦しい生活を強いられた縫製労働者の暮らしを模型で蘇らせ、また別の展示室には「軍事政権打倒」を叫んで逮捕連行され水拷問にあった民主烈士の姿を生々しく再現した。

 記念空間と並んでいる追慕空間は、民主英霊の遺影と位牌が安置された遺影奉安所が用意され、自由・平等・正義・平和を祈る大型追慕造形物の後には現在49基の民主烈士墓が安置されている。

 この墓所には、1986年4月28日前方入所撤廃闘争を宣言し「反戦反核ヤンキーゴーホーム」を叫び焼身自決した故キム・セジン烈士(当時、ソウル大生)が安置されている。1991年4月「盧泰愚(ノテウ)軍事政権打倒」を主張しデモを行い、白骨団(私服武装警察官)に鉄パイプで殴られ亡くなった故カン・ギョンテ烈士(当時、明知大生)の墓もある。また「全斗煥(チョンドゥファン)政権打倒」を叫び警察に連行され、1982年11月6日に強制徴兵されて軍服務中の翌年4月30日~5月3日に保安部隊で調査を受け、5月4日に疑問死を遂げた故イ・ユンソン烈士(当時、成均館大生)も一緒に眠っている。朴正煕政権の代表的容共ねつ造事件である人民革命党事件の犠牲者も眠りについている。

 韓国現代史の悲劇であり誇りでもある民主化運動を見れる民主化運動記念公園が、9日午後2時正式に開園する。2001年に民主化運動記念10大事業として決定されてから15年ぶりだ。京畿道利川市暮加面於農里山28-4番地一帯に造成された。首相室傘下の民主化運動関連者名誉回復および補償審議支援委員会と利川市の共催で公園民主広場で開館式を開く。

 記念公園は民主化運動の過程で犠牲になった英霊の魂を賛え、遺族たちの受けた傷を慰労すると同時に、名誉回復のために始まった事業だ。2007年、政府の記念公園造成事業希望地方自治体公募で利川市が誘致の意思を明らかにし事業が進められた。2011年6月に着工した後、昨年10月建築物が竣工し、その後展示物の工事と施設・装備安定化のための試験運営を終えた。

 施設の規模は15万674平方メートルの敷地に建築延面積6970平方メートルで、総額466億ウォンの事業費が投入された。記念公園には法律により民主化運動関連者と認められた136人の烈士が安置される墓地と記念館、便宜施設などが設けられる。民主化運動に関連した公演やセミナーが開かれる多目的複合空間やセミナー室もある。記念館の展示施設は、各種の企画展や常設展示の空間として活用され、委員会は今後も民主化運動と関連する歴史資料を持続的に収集補完する計画だ。記念公園は行政自治部と利川市が結んだ運営協約により利川市が直接運営する予定だ。

 民主化運動記念公園は、2007年に事業候補地が確定した後、最近まで多くの迂余曲折を経た。金大中(キムデジュン)大統領の献身的努力で実を結んだが、その後遅々として進まず、李明博(イミョンバク)、朴槿恵(パククネ)政権まで続き、遺族の反発や分裂まで起こった。アクセスで劣る奥深い山であることに加え、当初傾斜していた山を無理に削ったために山崩れの心配もされた。中部高速道路の車両騒音問題も提起された。また、墓地安置対象者の選定過程でもこれを最小化しようとする政権と遺族の間の摩擦も起きた。

民主化運動記念公園 =キム・ギソン記者//ハンギョレ新聞社
民主化運動記念公園 =キム・ギソン記者//ハンギョレ新聞社
民主化運動記念公園 =キム・ギソン記者//ハンギョレ新聞社
民主化運動記念公園 =キム・ギソン記者//ハンギョレ新聞社
民主化運動記念公園 =キム・ギソン記者//ハンギョレ新聞社

 特に記念館の内容物を巡って、朴正煕、全斗煥政権の鉄拳統治など権力の過ちを浮き彫りにしなければならないという遺族側と、これを望まない現政権との異見も大きかった。実際、現在造成された記念館は、軍事政権が民主化運動勢力に対して犯した蛮行は詳しく扱わず、民主化運動過程でのデモや集会に焦点が合わされている。

 故カン・ギョンテ烈士の父であり、全国民主化運動遺族協議会の会長でもあるカン・ミンジョ氏(75)は「民主烈士の願いが込められた公園である以上、歴史を正しく書くべきなのに、独裁者の横暴や人権弾圧の実状が十分に書かれてなくて物足りない。だが、歴史は今後も書き続けなければならないので、次第に補完されるものと信じる」と語った。彼は「ようやく造成された墓地なので、民主と平和の聖地として確立されることを切に望む。公園の正式開園は韓国の民主主義を発展させる新たな始まり」と付け加えた。

利川/キム・ギソン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/747459.html 韓国語原文入力:2016-06-08 21:29
訳J.S(2351字)

関連記事