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[寄稿] 良心囚の国、大韓民国

登録:2015-12-22 23:33 修正:2015-12-23 07:16
良心囚を量産する韓国 イラストレーション=キム・デジュン//ハンギョレ新聞社

 政権の反対者を拷問し監獄に送り、非転向の長期囚に対する転向工作により自分の信念を守ろうとする人々を殺したり障害者にした奴らのうち、まともに処罰を受けた者は殆どいない。 被害者はいても加害者はいないのが“通例”だ。 これこそが大韓民国における過去整理の典型的方式だ。

 良心囚量産の政治は恐怖政治だ。 憲法上保障されている筈の自由の内容は色あせて「自由民主主義」は形骸化され殻だけが残る。 こういうことでは90年代まで猛威を振るった拷問も戻ってくる日は遠くないだろう。 抵抗のみが大韓民国を人間がそれなりに生きて呼吸できる国に作れるはずだ。

 私と大韓民国の間の縁には、当初から“良心囚”という核心キーワードがあった。 ソ連の公民として国際赦免委員会(アムネスティ・インターナショナル)に加入が可能になった1989年、私はすぐに加入して、その時から漏らすことなく韓国の良心囚に対する資料を受け取り釈放要請書にサインし始めた。 時折、国際赦免委員会の韓国関連資料は衝撃そのものだった。 一見すると“民主化”されたように見えたが、その資料が間違いでなければ、詩人パク・ノヘが1991年3月に逮捕された時、3週間に及ぶ残酷な拷問にあったとのことだった。 “民主化”された社会で拷問とは、永く信じられなかった。 パク・ノヘだけだろうか? “民主化”された世の中に、彼と一緒に捕えられた「南韓社会主義労働者同盟(社労盟)事件」関係者のペク・テウンやウン・スミに対しても“拷問”の話を読むことができた。 このように国際赦免委員会と縁を結んで、韓国の“民主化”の表と裏がどれほど違うのかを、1990年代初期に初めて実感をもって確認した。

 その時からいつのまにか20余年が過ぎた。 一時は死刑が求刑されたパク・ノヘはすでに名望家の隊列に加わっている。 ペク・テウンはハワイ大学で仕事をし国連で諮問役を務め、ウン・スミは国会議員だ。 彼らが身を置いた社労盟は民主化運動組織として公式に認められた。 ところが、何の犯罪も犯していなかった彼らを拷問し、ほとんど10年間を監獄で腐らせた奴らのうちで処罰を受けた者は誰もいない。 これこそが大韓民国における過去整理の典型的方式だ。 政権が何度か変わって、過去の司法殺人・拷問捜査に対する批判世論が定説となれば、鬱憤に充ちた被害者やその子孫がもしかしたら名誉回復と共に若干の補償を受けることはできるかも知れない。 だが、被害者はいても加害者はいないのが“通例”だ。 1970~80年代に150人余りの在日朝鮮人を殺人的拷問を通じて官製“スパイ”に仕立て上げ、「社労盟事件」のような多くの時局事件をでっち上げて政権の反対者を拷問し監獄に送り、非転向の長期囚に対する転向工作で自分の信念を守ろうとする人々を殺したり障害者にした奴らのうち、まともに処罰を受けた者は殆どいない。 拷問捜査、虚偽陳述強要などが体制の“慣習”になってしまった状況では、人権蹂躪の被害者が名誉回復されても、人権蹂躪それ自体は処罰されない。 問題は、このような社会ではかつてのような人権蹂躪がいつでも再現されるということだ。

 事実、非常に顕著な良心犯の量産はすでに蘇っている。 おそらく未来の史学者が朴槿恵(パク・クネ)統治期を命名する時に、「政府が労働との戦争を行った時代」とか「財閥万能の時代」のような名称と共に「良心犯量産の時代」と呼ぶだろう。 もちろん、朴槿恵の執権以前に良心囚がいなかったという意味ではない。 若干の改善はあったものの、金大中(キム・デジュン)や盧武鉉(ノ・ムヒョン)の時期にも大韓民国は相変らず世界最悪とも言える兵営社会・公安国家・労働抑圧社会であった。 それで過去の良心囚出身や人権弁護士出身が大統領になってはいても、良心的兵役拒否者や労働運動家が(“業務妨害”、“退去拒否”、“集会示威法違反”)、そして国家保安法関連で拘束起訴された左派民族主義者など数百人が毎年監獄を埋めたりしていた。 ところが、朴槿恵時代には良心囚の量産は新たな水準に到達した。 自身の良心を守るために監獄に行かなければならない人の数が多少増えただけでなく、可視性の高い良心犯投獄の恐怖拡散効果も極めて大きかった。

 基礎的事実から確認しよう。 朴槿恵政権になって国家保安法起訴率は盧武鉉政権時期に比べて2~3倍に急増した。 2007年に86件、2008年に56件の起訴がそれぞれ集計されたが、2013年には165件の国家保安法起訴という“新記録”が樹立された。 米国務部でさえも悪法と認定した法の内容はそのままで、それだけその“活用範囲”が広がった。 もちろん起訴されても拘束率は20~30%で、皆が無条件に監獄行きになるわけではないが、2000年代中盤に較べて拘束者数が増えたことは事実だ。 労働者に対する拘束の場合、拘束者の数自体は2000年代中盤から傾向的に減ってはいる。 ところが、これは大韓民国の司法府が突然に人情にあつくなったからではなく、労働弾圧の方法が極度に巧妙になったからだ。 企業が広範囲に下請けを使っているために、ストライキ労働者と警察の直接衝突が珍しくなり、また殺人的な損害賠償請求と労働運動家の財産仮差押さえなどは労働運動を根こそぎ押さえ付けてしまう。 現在収監中の労働界良心犯統計によれば、大部分は非正社員闘争関連者(40人余り)と露天商などの生存権闘争関連者(10人余り)、外国人労働者(12人)など最も脆弱な階層を代弁する人々だ。 国家は労働階級の周辺部、すなわち非正社員と解雇者、零細民などの闘争を拘束収監で攻撃しているわけだ。 収監中の韓国良心的兵役拒否者(現在約600人)は、世界平和収監者の90%程度を占めている。 国家保安法事犯、収監された労働者、兵役拒否者、密陽(ミリャン)の高齢者たち、江汀(カンジョン)マウル(村)の住民と平和運動家…。 大韓民国は紛れもなく良心囚の国だ、産業化され形式的「自由民主主義」を実行する国々の中で良心囚を最も多く量産する典型的な人権蹂躪国家だ。

 朴槿恵政権以前でも人権蹂躪国でなかったわけではない。 だが、現在の政権下では人権蹂躪はこれ見よがしに強行されている。 金大中・盧武鉉政権は人権の形くらいは繕おうとしたが、今の政権は人権弾圧を誇らしげにする。 「人民革命党事件」などが朴正煕(パク・チョンヒ)政権の野蛮性を象徴したように、「欧米留学生スパイ団事件」などが全斗煥(チョン・ドファン)時代の典型的拷問捜査の実体を見せたように、上で言及した「社労盟事件」が盧泰愚(ノ・テウ)時期の“民主化”の不十分さを暴露したように、1993年の「兄妹スパイ事件」など1990年代初・中盤の各種“スパイ”でっち上げが金泳三(キム・ヨンサム)時期の“民主化”の限界を確認させたように、今の政権の反人権性を「イ・ソクキ事件」は永遠に象徴するだろう。 それほどこの事件で見られた政権の“大胆さ”はあきれる水準だ。 単純にその真偽が問題視された録音ファイルなどの非常に断片的で不確かな“証拠”による現職議員の逮捕や、約7~8%の固定支持率を記録する議会政党の司法的解散のような大規模権力型暴挙は、建国初期や1950年代以後には大韓民国憲政史上類例のないものだった。 政権が法を道具として、政敵の除去を果敢に行う意志を誇示したようだ。 「イ・ソクキ事件」以後には政権反対者の逮捕は朴槿恵政権の一つの“慣習”になった。 イ・ソクキなど、統合進歩党の人々は韓国でかなり以前から深刻な弾圧を受けて来た左派民族主義傾向に属したが、2013年12月に合法的ストライキを行う過程で逮捕された鉄道労組の指導部や日帝強制占領期間を連想させる“騒擾罪”で起訴されるやもしれないハン・サンギュン民主労総委員長、セウォル号遺族の怨恨を解くために犠牲的に努力して拘束されたパク・ネグンのような韓国の代表的人権運動家たちは、左派民族主義など韓国社会で不穏視されるいかなる理念とも関係がなかった。 彼らは単に弱者のために駆け回り、収監されたのだった。 彼らを逮捕した政権が、支配階級の利害関係に僅かでも不利になるいかなる活動も逮捕で終えるというメッセージを皆に伝えようとしたようだ。

パク・ノジャ ノルウェーオスロ大教授・韓国学 //ハンギョレ新聞社

 結局、良心囚量産の政治は恐怖政治だ。 現職の国会議員や全国労組のリーダー、あるいは著名な人権活動家でさえも、いつでも投獄されうるならば、何人といえども安心して表現・結社・集会の自由を享受できない。 憲法上保障されている筈の自由の内容は色あせて「自由民主主義」は形骸化され、無意味な殻だけ残る。 こういうことでは90年代まで猛威を振るった、上で言及した「社労盟事件」被害者の悪夢になった拷問も戻ってくる日が遠くないだろう。 人権を常習的に蹂躪する政権に対する抵抗のみが、我々の子孫が生きていかなければならない大韓民国を、人間がそれなりに生きて呼吸できる国にするはずだ。

パク・ノジャ ノルウェーオスロ大教授・韓国学(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/723010.html 韓国語原文入力:2015-12-22 18:45
訳J.S(3894字)

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