9日に閉会した朝鮮労働党第7回大会が推戴した「(金正恩)朝鮮労働党委員長」(党委員長)という役職が、1949年の金日成(キムイルソン)の先例に従った「祖父の真似」という報道や分析が多くされるが、これは事実と異なる。「党委員長」は、朝鮮労働党の歴史に存在しなかった新しい役職で、「金正恩(キムジョンウン)」のためにだけ作られたものだ。
1949年、当時北朝鮮内閣の首相だった金日成の党職は、「朝鮮労働党中央委員会委員長」だった。 党委員長ではない。『金日成著作集』(第5巻)などによると、1949年6月30日、南労党と北労党中央委員会が密かに党統一大会を開き、両党中央委員会を「朝鮮労働党中央委員会」に統合して、中央委委員長に金日成、副委員長にパク・ホンヨンとホ・ガイを選出した。南北労働党が統合した事実は秘密にされていたが、「朝鮮中央年鑑(1951〜52年版)」に初めて公開された。
1949年当時、金日成委員長は、党中央委のリーダーだったが、「唯一の権力者」ではなかった。 「金日成唯一体制」は、南労党系、延安派、ソ連派の粛清を経て、1950年代末〜1960年代初めに構築された。北朝鮮が「勝利者の大会」と呼ぶ第4回党大会(1961年9月)で改正された党規約前文に 「朝鮮労働党は朝鮮共産主義者たちの抗日武装闘争で成し遂げた最高の革命伝統の直接継承者」と規定したのが代表的である。「金日成パルチザン闘争」と直接的に関連がないのは、「革命伝統」ではないという宣言だ。金日成・金正日(キムジョンイル)・金正恩の3代世襲の名分である「白頭血統」に歴史的な正当性を与えてきた『抗日パルチザン参加者の回想記』が最初に出てきたのが59年6月のことだ。このような過程を経て、1966年10月、第2回党代表者会議で、金日成は党中央委委員長の職制を廃止し、党中央委総書記の職に就いた。
一方、今回の党大会で改正された党規約は、党委員長を「党の最高役職」であり、「党を代表して全党を領導する党の最高指導者」と規定した。また、「金正恩同志の唯一的領導体系」を明示した。北朝鮮では労働党が国を領導(憲法11条)するが、「金正恩党委員長」は、その労働党の領導者だ。「親なる首領 - 母なる党 - 大衆」が「革命的大家庭」を成し、「首領が最高脳髄」という北朝鮮特有の奇妙な「社会的政治的生命体論」が土台になっている。
地位が異なるため、推戴の方式も異なる。党中央委委員長は、中央委員会で選出され、推戴される。しかし「金正恩党委員長」は、党中央委員会ではなく、「第7回党大会」が「全党員と人民軍将兵たち、人民の一途な意思と念願を反映」し、9日に推戴した。政治局常務委員、政治局員、政治局候補委員など労働党の主要幹部が、いずれも9日に召集された党中央委員会第7期第1回全員会議で決定されたものとは、全く異なる形だ。
一方、今回改正された党規約の本文に「経済建設と核武力建設の並進」(並進路線)が明記されたと、労働新聞が10日付で報じた。また、同紙は、党規約の序文に労働党を「金日成 - 金正日主義党」に、「金正日同志は、朝鮮労働党の象徴であり、永遠の首班」と規定したと伝えた。
韓国語原文入力:2016-05-10 19:49