登録 : 2015.08.08 06:10 修正 : 2015.08.16 07:46

 この文は「5・18記念財団」の支援を受けて2013年12月15~19日に沖縄現地取材した内容を、同財団が発行する『アジア ジャーナル』2014年春、第8号企画シリーズ「アジア記憶の空間」に“沖縄”というタイトルで整理し掲載したルポルタージュである。

 現在とは1年半を超える時差があるが、第2次大戦時に数十万人が犠牲になった沖縄人は今も米軍基地反対運動を戦っており、また沖縄に連れて行かれて犠牲になった多くの朝鮮人徴兵・徴用者と日本軍慰安婦の話は、過去ではなく依然として現在進行形であり,この沖縄ルポを行わせた問題意識も変らず有効だ。

 そのような脈絡で2013年12月の沖縄は2015年8月の沖縄と同時代的空間の現場であり、このルポもまた過去ではなく現在のことだ。

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■ 恨の碑

この島はなぜ寡黙になってしまったのか
なぜ語ろうとはしないのか
女たちの悲しみを
朝鮮半島の兄姉たちのことを

引き裂かれて連行された兄たち
灼熱の船底で息絶え
沖縄のこの地で手足をもぎ取られ
魂を踏みにじられた兄たち

戦が終わり時が経っても
この島から軍靴の音が絶えることはない
奪われた土地、消えたムラ、女たちの悲鳴は続き
人々の心は乾いたままだ

兄たちよ
未だ供養されず石灰岩の隙間に埋もれる骨、骨、骨
故郷の土饅頭に帰ることもかなわない
兄たちよ

私たち沖縄人は
未だ軍靴に踏みにじられたままの
兄姉たちの魂に
深く頭を垂れる

日本軍の性奴隷として踏みにじられた姉たち
軍夫として犠牲になった兄たちに深く頭を垂れる
やがて固く結んだ鳳仙花の種が弾け
相互の海を越えて花咲くことを信じて

兄姉よ、あなたたちの辿った苦難を語り継ぎ
地球上から戦争と軍隊を根絶することを
この地に果てた兄姉の魂に
私たちは誓う

中頭郡読谷村瀬名波の狭い田舎道の路肩の草むらに置かれている「恨の碑」案内板 =ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社

 2013年12月17日、沖縄の嘉手納空軍基地のすぐ上にある中頭郡読谷村瀬名波の狭い田舎道の路肩の草むらの奥に小さな表示板が見えた。白い土台に青いペイントで描かれた矢印と「恨の碑」という字(写真説明1-1)。

 それを過ぎて小さな丘を上がると、韓国の農村の堂山木の下のような場所があり、そのそばの塚に人の背丈ほどのレリーフ像が斜めに立っていた。小銃の台尻を振り上げる兵士と目隠しをされて処刑台に引きずられて行く男、彼の脚にすがりつき、ひざまづいて泣き叫ぶ老母(写真説明1-2,1-3)。 そのそばに立つ花こう岩の碑石に「この地に果てた兄姉の魂に」というタイトルをつけたこの碑文が日本語と韓国語で並んで彫られていた(写真説明1-4)。

「恨の碑」の横に立つレリーフ像。小銃の台尻を振り上げる兵士と目隠しをされて処刑台に引きずられて行く男、彼の脚にすがりつき、ひざまづいて泣き叫ぶ老母の姿が刻まれている。そのそばに『この地に果てた兄姉の魂に』を刻んだ碑石が立っている=ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社

「恨の碑」傍のレリーフ像 =ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社

『この地に果てた兄姉の魂に』が彫られた碑石。左は日本語、右は韓国語 =ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社

※本ルポは以下の通り6部で構成されます。

(1/6)はじめに

(2/6)1. 米軍基地に占領された沖縄(上)

(3/6)1. 米軍基地に占領された沖縄(下)

(4/6)2. 沖縄の悲劇

(5/6)3.朝鮮人性奴隷

(6/6)4. 根が深い沖縄の悲しみ

ハン・スンドン ハンギョレ文化部記者

韓国語原文入力:2015/08/15 18:04 訳J.S(1230字)

http://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/704569.html

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