先日、特別検察官(特検)が請求したドローン作戦司令部のキム・ヨンデ司令官の拘束令状が裁判所で棄却された。裁判所は形式上、被疑者の防御権の保護を理由に挙げたが、特検はすでにキム司令官が平壌(ピョンヤン)に無人機を投入するよう指示した事実、そしてその事実を事後に隠そうとした情況を多数確保しており、捜査には問題がないという立場だ。だが、この事件は単なる公文書偽造や作戦指揮の不適切さのような行政的違反に限らない。はるかに本質的な問題は、このドローン作戦が一時的な安全保障危機をもたらし、国家非常事態を誘導したうえで、戒厳令宣布のための条件を人為的に作ろうとしたという点にある。
昨年6月、キム・ヨンデ司令官はいわゆる「北(朝鮮)派タスクフォース(TF)」を設け、平壌上空にドローンを投入する具体的な作戦を検討し始めた。ドローン作戦司令部から大統領室の安保室に直でつながる異常な作戦報告体系だった。平壌にドローンを投入する作戦は、朝鮮半島に軍事的衝突を起こしかねない危険な試みであり、北朝鮮の反応があまりにも強硬だったり、あるいは反対に無反応であってもならない。すなわち、相手の反応をも予測し、誘導しなければならない、非常に精密で政治的な作戦でなければならなかった。朝鮮半島に軍事的危機を作る一方、コントロール可能な「適切な」危機を作る必要があったのだ。これには北朝鮮の協力が欠かせない。
ドローン作戦計画が成熟段階に入った10月1日、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は「国軍の日」記念行事後、軍首脳部との食事会で、「軍が乗り出さなければならない」として非常措置権の行使を強く示唆した。2日後の10月3日から10日にかけて、ドローンは実際に平壌に向かって飛行した。11日、北朝鮮が強硬な声明を発表したことを聞いて、大統領と国防部長官は手をたたいて喜んだという内容の録音記録が特検の手元にあるという。北朝鮮が強硬な声明を発表したことで、一見「危機づくり」という政治的目的が達成されたかのように見えた。この頃、尹大統領は「ミョン・テギュン・ゲート」と「(夫人の)キム・ゴンヒ特検」など各種疑惑で政治的圧迫を受けていた。このような政治的危機局面で、「情勢をひっくり返す」手段が確保されたということが、尹大統領にとっては唯一の喜びだったようだ。
10月にドローンが平壌に飛んでいったまさにその時期に、キム・ヨンヒョン国防部長官はクァク・チョングン特殊戦司令官に盗聴防止機能付電話(秘話フォン)で電話をかけ、自身が「合同参謀本部指揮統制室で北朝鮮の汚物風船に対する原点打撃を指揮する」と語った。この時期、キム長官は自分の政治的構想どおりに動いたが、キム・ミョンス合同参謀本部議長とイ・スンオ作戦本部長はこれに同意しなかったという。韓国軍に内在している軍事的合理主義が、大統領と国防部長官の賭博と衝動を牽制した、意味ある事例だった。
ところが、北朝鮮から特に軍事的対応がなかったため、内乱勢力は11月には同じ方式で再びドローンを(北朝鮮に向けて)飛ばすことにした。11月5日のヨ・インヒョン防諜司令官の携帯電話(のメモ)には「敵の条件づくり」という文言があるという。これは、国家非常事態を宣布するための条件を敵を通じて達成するという意味ではないだろうか。だが、今度はドローン作戦司令部内の反発が大きかった。参謀たちは「平壌への無人機投入はあまりにも危険すぎる」として異議を唱え、結局飛行直前になって航路が南浦(ナムポ)に変更された。これも破局を防ごうとする軍内部の理性的判断が介入した珍しい事例と言える。当初の計画通りドローンが平壌に投入されていたら、歴史は大きく変わったかもしれない。
11月18日未明、キム・ヨンヒョン長官は、合同参謀指揮統制室で高官らと「北朝鮮の汚物風船原点打撃」をテーマに戦術会議を行った。この場でも合同参謀議長と作戦本部長は反対の意思を固守したという。28日の会議でも、キム長官は反対する合同参謀議長を叱責した。キム長官が合同参謀議長に「概念のない野郎」と暴言を吐いたという内部情報まで出てきた。
この会議の後、地上作戦司令部は前方軍団に対し、北朝鮮の風船が出現した場合に警告射撃ができるよう対空火力を射撃準備状態に配置した。北朝鮮がこれといった対応を示さなかったため、11月末に情報司令部所属の将校2人がモンゴルのウランバートルに派遣され、北朝鮮大使館との接触を試みた。彼らはモンゴルの情報員に仲介を依頼する過程で、自らの身元を露呈し抑留された。これにより事件はモンゴル外交当局を刺激する外交問題にまで発展した。あまりにも勇み足で進められた粗悪な工作だった。この頃、中国で活動していたある情報員は、北朝鮮側の消息筋から「来月、韓国で事変が起こるだろう」という話も聞いたという。特検が明らかにすべき真実が、入口の向こうで待ち構えている。