登録 : 2015.08.08 06:26 修正 : 2015.08.16 07:44

1. 米軍基地に占領された沖縄(下)

■ 普天間米海兵隊基地前のデモ

普天間基地ノダケゲートで基地反対デモを行っている68歳の上間芳子さん(68)「戦争(2次大戦)後、(米軍に)沖縄を奪われた。米軍基地のために沖縄の自立的社会建設が不可能になった」 =ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社

 10人余りの老人たちと共に普天間基地のノダケゲート側正門前で「NO!」と書かれた大きなプラスターを持って基地反対を叫んでいた美しく歳をとった上間芳子さん(68)は、「戦争(第2次大戦)後、(米軍に)沖縄を奪われた」として、「米軍基地のために沖縄の自立的社会建設が不可能になった」と話した(写真説明3-1)。

 彼女も沖縄駐留米軍経費の70%を日本政府(日本国民)が負担している状況で、米軍基地の沖縄経済寄与度は5%にしかならないと話した。さらに、県議会、市町村も全部、沖縄住民全体が沖縄の発展を遮っている米軍基地に反対していると話した。

 東京近隣の千葉県生活協同組合(COOP)で仕事をして、60歳で定年退職して故郷に帰って以来、ずっと基地反対運動を続けてきた上間芳子さんは、その日のように雨が降ったり暑い夏の昼間がデモするには最もしんどいと話した。

 彼女はソウル、済州島江汀、光州(クァンジュ)などにも行ったことがあると言い、年に一、二度は韓国に行って韓国市民との連帯活動を行っているとも話した。

普天間基地の前で反対デモを行っている73才の渡嘉敷喜代子氏。「生命を賭けて戦っている。ここで負ければ沖縄全体が負ける。韓国民も積極的に応援してくれることを望む。秘密保護法などを通過させた安倍の右傾化は結局戦争前に戻ろうということだ」 =ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社

 同じプラスターを持っていた73歳の高齢婦人、渡嘉敷喜代子氏は「生命がけでこのけんかをしている」とし、「ここで私たちが負ければ、沖縄全体が負ける。韓国のひとたちも積極的に応援してほしい」と話した。 彼女は「秘密保護法などを通過させた安倍の右傾化は、結局戦争前に戻ろうということ」とも話した(写真説明3-2)。その日ぼ集会を主導した行動隊長格に見える大田朝暉氏は81歳の老人だった。

普天間基地ノダケゲートで基地反対デモを行っている81歳の大田朝暉氏 =ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社

 彼は中日間の尖閣(釣魚島)紛争について、「政略的に利用しようとする勢力が意図的に作ったこと」とし、そのために中国との戦争は起きないだろうと楽観した(写真説明3-3)。韓国も似たような問題を抱いているのでないかと話した彼は、蝶々と蝶々の餌を供給する事業をしていた。彼が差し出した名刺には、「蝶々が舞う平和な島 沖縄を!! 拠点になるのは学校だ!!」 「オオゴマダラ(沖縄南部だけで自生する日本最大の蝶)を飛ばそう!!」という字句が刷られていた。

■ 那覇市庁前の基地反対デモ

 那覇中心街にある市庁前広場で「(仲井眞)知事は“辺野古(海岸)埋め立て”を承認するな」というスローガンが大きく書かれたテントを張り、マイクを握って街頭演説して、座り込みデモを行った人々も彼ら老人だった。

 残念ながらそのような場に若者たちの姿は殆どなかった。上間芳子さんはそのようなデモ現場に「若い人たちが駆せ参じる韓国がとてもうらやましい」と話した。

沖縄の中心都市那覇の中心街にある市庁前広場で、「(仲井眞)知事は辺野古埋立に不承認を!」などのスローガンが大きく書かれたテントを張って、マイクを持って街頭演説を行い、座り込みデモを行う老人たち =ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社

沖縄の中心都市那覇の中心街にある市庁前広場で、「(仲井眞)知事は辺野古埋立に不承認を!」などのスローガンが大きく書かれたテントを張って座り込みデモを行う老人たち =ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社

沖縄の中心都市那覇の中心街にある市庁前広場で、「(仲井眞)知事は辺野古埋立に不承認を!」などのスローガンが大きく書かれたテントを張って座り込みデモを行う老人たち =ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社

 沖縄のお年寄りたちは、それでも少しも萎縮せず長期に亘りそのような作業を粘り強く続けていた(写真説明3-4,3-5,3-6)。

■ 「基地がなくなってこそ沖縄は発展する」

 本土出身だが若林教授は沖縄駐留米軍基地に対して好意的でなかった。若林教授はハワイを訪れる観光客が年間1千万人であるのに沖縄は600万人としながら、観光産業、人と貨物が通過する航空・海上ハブとしての地政学的価値、中継貿易などを活用すれば基地がなくとも沖縄は自立できると話した。 米軍基地に反対する若林教授は、今回の沖縄取材で全般的な状況説明と共に、志を同じくする現地の人たちを紹介し案内を斡旋するなど多方面で助けてくれた。

 沖縄を発つ一日前、夕食を共にしたメディア『TCT News』の高嶺朝一代表など、若林教授の周辺の沖縄知識人グループの考えも彼と同じだった。沖縄の二大新聞の一つである琉球新報社長出身の高嶺代表の考えは、沖縄知識人主流の考えと大きく異ならないだろう。米軍基地に反対する人々は、基地がなくなってこそ沖縄は発展できると話した。

 彼らは沖縄島のあちこちを占めて居座った基地が自然と経済・文化の土台を破壊して正常な発展を遮る障害物だと考えていた。 韓国ですでに問題になっている米軍基地の土壌汚染問題を彼らも深刻に考えていた。

 そのような考えを持った住民たちは、時間の経過と共にますます増えているようだ。都市が拡張され、市街地に包囲された一部の米軍基地の土地が民間の土地に転換され、そこには大規模な慰安施設や日本本土と米国などの外国資本が作る大型マートが建っていた。 人々は沖縄の土着経済を脅かす彼らを警戒していた。

■ お金の威力の前に崩れた仲井眞知事

 それでも仲井眞知事は結局、普天間基地の県内移転を受け入れた。自民党の支援を受けて知事に当選したが、住民たちの強力な普天間基地県内移転反対世論に押されて県内移転反対の立場を表明し機嫌を取った彼は、安倍晋三首相に会い巨額の中央政府補助金支援の約束を受け取った直後に自身の公約を覆してしまった。

(仲井眞知事は2014年11月16日に実施された沖縄県知事選挙に自民党と次世代の党の推薦を受け出馬したが、普天間米軍飛行場の辺野古移転、すなわち沖縄県内移転反対を明らかにした翁長雄志候補に敗れ3選に失敗した。那覇市長出身の翁長新知事は当時、「もはや米軍基地は沖縄経済の発展の阻害要因になった。政府が強行しようとする辺野古の新基地建設に断固反対する」と表明した。翁長現知事の選挙出馬で空席になった那覇市長選挙も同日実施され、翁長側近が当選した。これは米軍基地と日本政府の政策に対する沖縄住民の否定的感情がどれほどなのか改めて鮮明に見せつけることになった)

 韓国で翻訳出版された『日本の領土紛争』(邦題:『日本の国境問題』)『米国は東アジアをどのように支配したか』(邦題:『戦後史の正体』)などの著者である孫崎享氏は、最近また別の本で安倍政権下で辺野古への基地移転作業が着々と進行される裏面には、お金の威力が作用していると指摘した。

 外務省国際情報局長やイラン駐在大使を歴任した外務官僚出身の彼は、名護市に属する辺野古地域の漁民の多くが、市長をはじめとする名護市民多数の反対にもかかわらず辺野古への基地移転に賛成している理由は、その地域の1世帯当り1億円という巨額の補償金を約束されたためといううわさを想起させた。

 2000年代前半期に提示した金額が1億円(10億ウォン!)だったと言うので、現在の安倍政権が提示した金額はそれよりはるかに大きかったかもしれない。

■ キャンプ シュワブから追い出される

 問題のキャンプ シュワブを調べるために二時間ほどバスに乗って行った辺野古地域は、タクシーに乗るためには道路沿いの店に入ってタクシー会社に電話を頼み、タクシーが来るまで25分待たなければならない寂しいところだった。

 路上で会った50代と思われる男性に、タクシーに乗りたいがどのようにしたら良いかと尋ねた時も25分という話を聞いた。その男性は自身の携帯電話を取り出してタクシー会社に電話をかけてくれ事情を話すと、タクシーは来ることは来るが25分待って欲しいと言う。雨まで降り出して暗くなった道端に立って25分もタクシーを待たなければならないとは。2車線道路を往来する車の中にタクシーはほとんど目につかず、空車のタクシーは全くなかった。困ったことになったなと思い、「ありがとう、他のタクシーを探してみます」と言って、遠くに見える店に入ったのだが、そこでもまた25分待ちとのことだった。止むなく、お願いしますと言って、そのまま店にじっとしているわけにも行かず、その小さな雑貨店で商品をいくつか買った。こんな経験をして、“日本人”と言われるのが常である彼らの礼儀正しさや親切で丁重なことを改めて痛感して感謝にたえない。辺野古の冬はまだ午後5時にもなっていないのに薄暗く、タクシーが来た時には完全に暗くなっていた。

 窮屈な日程のためにその日の夜には宿舎に戻らなければならなかったので、タクシーに乗って急いで見てまわることにした。途中、辺野古住民センターのようなところに立ち寄ったが、電気は点いていたが誰もいなかった。 英語の看板が増えてきたと思うと明るく照明されたキャンプ シュワブの正門が現れた。

沖縄本島北側の名護市近隣の村、辺野古にある米軍基地キャンプ シュワプの正門。日没後にタクシーでこちらを訪ねて写真を撮っていると警備員が駆けつけてきて妨害した =ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社

 道路から正門までは100メートル位、幅30メートル程度の予想より広い入口は高さ1.5メートル、幅2メートル程度のプラスチック製遮断壁がジグザグに並んでいた。そして、ものものしい鉄条網で塞がれた出入口。 その様子だけでもカメラに収めようとタクシーのドアを開けて外に立ってシャッターを何度か押したところ、夜間撮影のフラッシュが光り、その瞬間に制服姿の警備員2人が何か叫びながら威嚇的な姿勢で駆け寄ってきた(写真説明3-7)。

 タクシー運転手も予想外だったのか、あたふたと私を乗せて後に下がった。大きく下がって道路側に近い所からでも照明の中に浮かぶキャンプ シュワブの入口の様子でも写真に撮っていこうと思い、再びタクシーのドアを開けて外に出て、カメラをそちらへ向けると、警備員がそこまで追いかけてきて何か怒鳴りながら邪魔しまくった。

 正面から立ち向かい、何故そうするのかと問い詰めてみる勇気も無く、ただ驚いて逃げてしまった。タクシーの運転手にも、その後に会った人々にも訊いてみたが、以前はそのような場合にそれほど険悪に(?)出て来なかったといい、意外そうな顔をしていた。そして、2001年9・11事態以後にそうなったようだという解釈を付け加えた。

 普天間が移転して来れば滑走路が建設される筈の海岸側は、すでに暗くなって見えるものもなく、そのような状況では道を訊きながら訪ねて行ってみる気にもなれなかった。

 そんな静かな漁村に一世帯当り1億円という金爆弾が落ちれば、精神が混乱しない方がかえっておかしくないか。

 孫崎享氏によれば、思いやり予算は1970年代の中盤の田中角栄首相の時期、金丸信氏が防衛庁長官を務めていた時に法的根拠もなく政治的判断により米軍に渡し始めたが、初めは数十億円程度で始めたのが、どんどん増えて2011年度には1858億円にもなった。

 ここに基地周辺対策費1739億円、土地等の賃貸料1658億円、米軍再編関連費用1161億円を合わせれば、日本政府が負担した金額は6000億円を越えた。日本は金銭で米軍基地に対する沖縄住民の反感を押さえ込んでいるわけだ。

 それでも沖縄は日本で住民平均所得水準が最も低い地域だ。 低いと言ってもただ低いのではなく顕著に低い。

 初日の夜に若林教授一行と話した中で、私が行った日の前日である12月14日沖縄タイムズに沖縄の貧困率が日本で最高という記事が載せられたと言った話を思い出して、後になって探してみた。

 山形大学の戸室健作准教授(社会政策)が調査した結果に基づいて作成されたその記事で、必要最低生活費も稼げない絶対貧困率が沖縄では29.3%で、二位である高知県の21.7%よりはるかに高かった。全国平均14.4%の2倍を越えている。就業世帯のうち最低生活費も稼げないワーキングプアの比率も沖縄が20.5%で、その次の大阪が11.3%であった。

 ところで妙なことに、これらの貧困層の中で生活保護を受けている世帯の比率は沖縄が最も低い9.8%だ。全国平均は14.3%。日本政府は沖縄に米軍基地を置いておくための金は注ぎ込むが、肝心要の住民生活側にはこれと言った関心がないという話なのか?

■ 米軍が沖縄と韓国に駐留している理由

 「米軍が沖縄に駐留する最大の理由は、全体経費の4分の3を日本政府が負担するため」と孫崎享氏は話した。普天間基地の辺野古への移転経費も、ほとんど全て日本政府が負担する。韓国の防衛費分担金は、まさにこの日本の“思いやり予算”を真似たものだ。

 平沢(ピョンテク)への米軍基地移転経費もやはり、公式的な発表とは異なりほとんどを韓国政府が負担しているではないか。米軍が沖縄に次いで多くの地上軍を韓国に駐留させている理由は、沖縄と同じように駐留経費の大部分を韓国政府、いや韓国国民が負担するためだという主張が成立するのではないか。

 基地負担を抱え込んでいるという点で韓国と似ているのは日本本土ではなく沖縄だ。沖縄は日本領土の0.6%にしかならないが、在日米軍基地の74~5%が集中配置されている。

 従ってヤマト(大和)日本が米軍基地駐留による負担をほとんど全て沖縄に押し付けているのだが、本土と沖縄のそのような不公平な関係を宗主国と植民地の関係と見る視角が多い。沖縄は日本の内部植民地というものだ。実際、沖縄県現地の多くの住民が抱いている憤怒、悔しさ、拒否感の中に深く潜んでいる感情は、この植民地的状況に対する拒否感だった。

 米軍基地と関連して、沖縄のこの植民地的地位を共有しているのが大韓民国といえる。韓国には基地負担を押し付ける植民地がない。いや範囲を少しだけ広げてみれば、大韓民国という国自体が、沖縄とともに東アジア米日同盟体制を支えている最前線であり、米国の植民地だと言えば、とんでもない歪曲で誇張であろうか。

  

 沖縄人がヤマトンチュ(大和人)と呼ぶ日本本土の人々に不信感を抱き、“沖縄独立”という言葉が出るほどに脱日本の動きを見せているのは、基地問題のみならずさらに根強い理由が作用している。

■ 近代の悲痛な歴史がその中心にある

 1995年に起きた米海兵隊員による女子中学生性暴行事件、そして第2次大戦当時に日本軍によって強要された“集団自決”等の沖縄人受難史を歪曲した日本政府の歴史教科書修正指示事件などを糾弾する集会に、沖縄の全人口の10%に近い10万人以上が集まった。 そのような事件を通じて沖縄が近代の足かせから目覚めている。

ハン・スンドン ハンギョレ文化部記者

韓国語原文入力:2015/08/04 10:26 訳J.S(5445字)

http://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/704569.html

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