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[ルポ] 沖縄の悲劇、そして朝鮮人性奴隷(6/6)

登録:2015-08-08 06:42 修正:2015-08-16 07:41
4. 根が深い沖縄の悲しみ
沖縄平和記念公園の韓国籍犠牲者の名前が彫られた碑石 =ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社
.平和記念公園内の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)国籍犠牲者の名前を刻んだ碑石 その数が少ない =ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社

平和記念公園内の碑石。追加確認され碑石に彫られた韓国籍犠牲者。追加確認されて刻名されたという字句が見える。その右にはこのような場合に備えて立ててあるまだ何も彫られていない碑石 =ハン・スンドン記者//ハンギョレ新聞社

■ 戦前の状態が複製された戦後日本

 2007年9月、沖縄住民11万6000人が集団デモを行ったのは、日本の文部科学省が高校教科書に記述されていたこの集団自決の事実を2008年度から使われる教科書から削除しろと言ったためだ。

 日本政府は集団自決が日本軍の命令によるものではなかったと主張する当時の一部軍幹部が訴訟を起こすと、それを口実に削除指示をした。

 1995年、女子中学生集団性暴行事件の時に爆発した沖縄住民たちの怒りが、その時再び大きく爆発した。裁判は結局原告敗訴、すなわち当時の集団自決が命令に従ったものではなかったという主張に根拠がないという判決に帰着したが、それでも文部科学省は教科書の内容を修正せずに今も削除した状態にしている。沖縄住民たちの被害意識と中央政府または本土人に対する不信は一層深まっている。

 

 沖縄戦の時、住民たちは米軍に対する恐怖も強かったが、当時「米軍より日本軍がもっと恐ろしい」という言葉が出回るほど日本軍をより強く恐れたという。

 日本軍が集団自決を強要した原因としては、日本軍が自らの事情をよく知っている沖縄住民たちが捕虜になったりして、その内部事情が漏洩するのを防ぐために、「沖縄住民は全員スパイ」と言った程に住民たちに対する日本軍の差別と不信、残務と手伝いをして食糧確保にも役立つ住民たちの離脱を防ぐため、などが議論されている。

 恐怖に震えた住民たちは、戦場に出て行って死んだり(戦死)、米軍の捕虜になったり、日本軍の手で殺されたり、自決すること以外に他の選択肢はなかった。

 第2次大戦において日本領土内で繰り広げられた唯一の大規模地上戦である沖縄戦は、当初から日本の支配勢力が本土防御と体制維持のための時間稼ぎのために企画された戦争であったし、沖縄の住民たちはその企画に消耗品として動員された。

 「沖縄戦は“本土決戦”の時間を稼いで、うまくいけば“国体護持(天皇制維持)を条件に連合軍と平和(降服)交渉”を行うための捨て石作戦だったためだ」(『沖縄現代史』)。 天皇ヒロヒトと日本大本営が、米軍の沖縄上陸が始まった4月以前、または最終決戦が行われた6月以前に降服していたならば、これほど多くの人々が沖縄で死ぬことはなかっただろう。

 そして、戦後日本処理問題が議論された1945年7月、ポツダム宣言の時にでも戦争を放棄していたならば長崎・広島原爆の悲劇はなかったかも知れず、ソ連軍の対日戦介入もなかったし、したがって米軍が急いで朝鮮半島を分断することも、朝鮮戦争(6.25動乱)は起きなかったかもしれない。

 日本大本営が沖縄“捨て石”作戦を行い、連合軍から天皇制維持、すなわち国体護持の保障を受け取るための時間稼ぎをした代価はあまりに大きかった。

 

 彼らは、その多くの命を犠牲にさせた代価として結局成功したと言えるのではないだろうか。日帝敗戦後、日本を占領した米軍は天皇制を存続させ軍隊を復活させたし、一時公職から追放したり一部重刑に処したA級戦犯(彼らの中には安倍首相の母方の祖父である岸信介も含まれる)も復帰させた。

 中国が米国の予想に反して共産化し、韓国で大規模な戦争が勃発すると米国は日本占領計画を180道変更し、軍国日本の直系後えいを再び登用する。

 彼らをして戦後日本を運営させ、彼らが主導した冷戦体制の東アジア反共の砦に日本を育成するために戦争犯罪者とその周辺勢力を重用し支援した。

 すでに米軍占領初期にヒロヒトは、自分の側近を通じて天皇制維持、すなわち自身の命と地位保全を条件に占領軍司令官マッカーサーに米軍の日本長期駐留の保障を約束した。特に1951年に締結され翌年4月に発効されたサンフランシスコ講和条約と同時に締結された米日安保条約を通じて、日本の保守支配者は沖縄住民たちの意思を聞くこともせずに日本の主権保全を前提に米軍に施政権を保障することによって沖縄を事実上の米国領土として割譲した。

 米国が沖縄を“返還”したのは1972年だ。その時も米国と日本は沖縄住民の意思を聞いてみたことはなく、“返還”以後にも米軍基地はそのまま維持、またはより一層拡大した。

■ 独立琉球の夢

 沖縄の悲しみは根が深い。合わせて「琉球共和社会」建設の話まで出ている沖縄人の脱日本の動きの根もまた予想以上に深かった。沖縄は1872年に日本の一つの県として再編されるまで、500年間独立した琉球王国として存在したし、高麗時代から朝鮮半島とも深い関係を結んでいた。

 沖縄人が再びかつての王国に戻ることはないが、今再び自立的な共同体を夢見始めた。それは差別的な日本本土に対する反発のためだが、時代と世の中自体が脱近代側に急速に移動しているためかもしれない。沖縄を規定してきた近代的価値と基準が崩れていることにともなう現象とも言える。19日、2時間後にはソウルに戻る機内で改めてそんなことを考えた。

ハン・スンドン ハンギョレ文化部記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015/08/04 10:26 訳J.S(2198字)

https://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/704569.html

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